AMOR編集長 石井祥裕
今年の復活の主日の翌日4月21日、教皇フランシスコ逝去のニュースが飛び込んできました。2月14日に気管支炎と呼吸に支障を来す症状のために入院したとの報道があってから危ぶまれつつ、回復の動向も伝えられていた高齢の教皇の最期でした。復活祭の喜びの中での旅立ちでした。
『カトリック新聞』が週刊新聞としての最後となるものを3月30日付で発行したとき、その1面には、「教皇、徐々に回復進む 入院後初めての写真公開」との見出しで、小聖堂でミサをささげる教皇の姿がありました。その矢先の教皇逝去のニュース……NHKをはじめ放送メディアを通して、すべての人に伝わっていきました。
『カトリック新聞』が休刊し、新たにスタートした電子版ニュース「カトリックジャパンニュース」が配信されると、その最初にして最大の内容もこの報でした。そのダイジェスト版タブロイド紙「カトリックジャパンダイジェスト」の第1号(2025年4月)が1面で報じたのも「教皇フランシスコ逝去」でした。逝去の前日、4月20日の復活の主日に聖ペトロ大聖堂の中央バルコニーから車いすに乗って祝福を送る教皇の姿を伝えつつ。
AMORを営んでいる者として、日本のカトリックメディア界において、教皇フランシスコの存在と『カトリック新聞』の“終わりと新しい始まり”のタイミングが重なったことに深く感慨を覚えています。2013年の教皇就任以来、フランシスコ教皇の発することばとその顔や姿によるメッセージは2025年3月までの『カトリック新聞』のメインの内容となり、あたかも“フランシスコ新聞”のように感じられてきた12年間がこのようにして終わりを告げていったのです。
その後、世の中の関心は本物の教皇選挙に向かい、新しい教皇レオ14世の誕生を迎えました。その活動とメッセージの紹介が始まりつつありますが、そうではあっても、教皇フランシスコを失った教会、そしてわたしたちの心の空虚感がまだ相当に大きく、強く、深いのではないでしょうか。
この偉大な(といってもよいと思います)教皇の業績・功績はまだ全体を振り返ることもできず、今なお、まだしばらくは、彼の呼びかけに押されて前に向かっていく時期になっていくのではないかと思います。また、そうでなくてはならないのだとも思います。世界情勢を思うにつけ。教皇レオ14世自身もこのことを許し、促してくれることでしょう。
教皇フランシスコの最初の大きな文書である使徒的勧告『福音の喜び』(2013年)は、全世界の福音宣教への教会の思いを、フランシスコらしいアクセントをもってさらに前へと推し進める推進力に満ちたものとなっています。
「出向いて行く」教会として、率先すること、かかわり合うこと、寄り添うこと、実りをもたらすこと、そして祝うことを呼びかけるとのことばに、教皇のメッセージに貫かれる特徴が出ています。そして「喜び」ということばがその不可欠なキーワードになっていきます。この教皇の存在が、福音を告げ知らせる新しい媒体として、このウェブマガジン「AMOR 陽だまり丘」が生まれる最大のバックボーンであったこと、そして今もそうであり続けていることは間違いありません。

2019年来日時のミサの様子(「東京ドームで見たもの」より)
教皇フランシスコの存在のその呼びかけは、現代教会の始まりとなった第2バチカン公会議(1962-65年)の全メッセージを、その核心において継承し展開し総合するものです。それは、すべての被造物、いのちを大切にすること、「シノダリティ」という言葉を浮かび上がらせて、共に歩むものとなることを呼びかけている、今の教会の使命の自覚と努力において凝縮され、反映されています。
教皇フランシスコの存在とそのメッセージに駆り立てられつつ動き始めたAMORでは、教皇訪日をめぐってたびたびその存在に光を当ててきました。それらの記事を、今この教皇のことを振り返るための窓口に再びしていきませんか。それらを通じて、フランシスコの姿と声を振り返り、そのメッセージについての思いを深めていくことができれば、と思います。
2019年10月 特集36 教皇フランシスコへのアプローチ
2019年11月 特集37 教皇が来る
2019年12月 特集38 パパ・フランシスコが刻んだもの
2020年2月 特集40 2020年代の幕開けに
所収記事「2020年代 ポストパパを生きる―教皇来日後の私たちが目指すべきもの―」
2020年11月 特集49 教皇フランシスコ訪日から1年……“預言”の重さを心に留めて
2024年1月 特集87 教皇フランシスコから教わること