イグナチオの生き方から学ぶこと


K.S.

はじめに

皆さんは、「イグナチオ・デ・ロヨラ」という人物を知っているでしょうか。彼は、イエズス会という男子修道会の創立者であり、カトリック教会における聖人です。日本におけるイエズス会の活動は、上智大学の創立にかかわった会ということで、ご存知の方もいらっしゃるかもしれません。今回は、聖イグナチオ・デ・ロヨラ(以下、イグナチオ)という人物を、「私の生き方との響き合い」という視点からご紹介したいと思います。

 

ロヨラのイグナチオ

まずは、イグナチオを知らない方のために、彼のことをごく簡単に紹介する必要があるでしょう。

イグナチオは、 1491年に北スペイン・バスク地方の貴族として、ロヨラ城に生まれました。騎士の道を夢見ていましたが、砲撃を受けて負傷してしまいます。その後の療養期間を通して、生涯イエス・キリストに自分をささげることを選びます。イグナチオの「生涯をキリストにささげる道」は、後に「イエズス会」という男子修道会へと発展し、多くの人に受け継がれていくことになりました。

ところで、聖フランシスコ・ザビエルの存在は、多くの日本人が知っていることでしょう。彼も、イグナチオの想いに賛同して仲間に加わった一人でした。

 

神との親しい交わり

さて、イグナチオの生き方に話を進めてゆきたいと思います。イグナチオの生き方を語る上で特筆すべきことは、「神との親しい交わり」ではないでしょうか。しかし、それは至ってシンプルな実践の積み重ねによって、深められたものであると思います。実践は、聖書のみことばを通して祈り、観想、また対話などを行うことから始まります。また、自分自身が神に愛されていることを知り、神の望みに真に一致していくものとなってゆきます。

イグナチオが成し遂げた数々のことを踏まえると、彼自身に与えられた賜物は、たしかに特別なものであったと言えます。しかしイグナチオは、それを周りの同志たちに絶えず証し、また同志たちもそれを理解しようと努めました。このことによって、現代に生きる私たちは、このビジョンを共有することができています。イグナチオのビジョンは、日常生活において実践できるものであり、むしろ日々の生活においてこそ、多くの示唆や気づきが与えられるものでした。こうして、イグナチオの生き方は、私たちの信仰と日常生活について、それらが決して分離してしまうものではないことを教えてくれます。以上のことは、さらに、現代社会の現実の只中においても、希望をもって歩んでいくことができる、勇気と励ましを与えてくれているものではないでしょうか。

イグナチオは、『霊操(れいそう)』という祈りの手引書を残しました。本書で目指されるのは、すべてのことが「イエスとの深い出会い」につながるということです。『霊操』は、一人一人の「わたし」が、イエスとパーソナルに出会うということへのガイドブックと言えます。

 

イグナチオの回心

ドメニキーノ(ドメニコ・ザンピエーリ)『ラ・ストルタでの聖イグナチオ・デ・ロヨラのキリストと父なる神の幻視』(1622年、ロサンゼルス・カウンティ美術館)

また、イグナチオの生涯を語る上で欠かせないのは、彼の療養中に起こった「回心の体験」です。イグナチオは、1521年にパンプローナの戦いによって、非常に重い怪我を負い、長く療養しなければなりませんでした。しかし彼は、そこでたまたま読んだ『キリスト伝』や『聖人伝』などによって、自分の心が変容していくのを実感していきます。この心の動きを注意深く観察し、内省していく習慣は、イグナチオの生き方の特徴の一つであると思います。自分の心の動きに対して敏感になることによって、自分が何に喜んだり、悲しんだりしているのかを見極めることができるようになります。これは簡単そうに見えて、案外とても難しいことです。

例えば、私たちはイライラしたり、疲れていたり、気分が落ち込んでいる時に出会った人に対して、何気なく攻撃的な発言をしてしまうことがあるのではないのでしょうか。そうして、後になって「なぜあんなふうに言ってしまったのだろう」と悔いることも、しばしばあります。しかし、他者に対して酷い言葉を投げかけてしまう前に、少しでも立ち止まることができたら、どんなに良いでしょうか。

心の動きに対して敏感になることは、こうした私たちが陥りがちな、負の感情の連鎖に気づくことそのものです。もちろん、最初はうまく行きません。しかし、根気強く繰り返すことによって、少しずつ自分の感情を分析することができるようなります。それは、他者に対する態度にあらわれるだけではなく、自分の現在の状態を気にかけるということにもなるのです。イグナチオは、自らの心の変化を観察していくことによって、内省を繰り返してゆきました。そして、自らに呼びかける神の声を聞き分けることができるようになりました。

「回心の体験」は、しばしば、聖人の劇的な体験そのものばかりが取り上げられます。しかし、イグナチオの回心の体験を振り返った時、回心の体験は、一度限りのものというよりも、ある種絶えず刷新され続けていくものであるというイメージが持てるように思います。たしかに、イグナチオの体験も、ドラマチックな体験ではあります。しかし、回心の体験は、自分に浮かび上がってきたものにしっかりと向き合い、考え続けることによって、深められ続けていくものであるということが言えるのではないでしょうか。

 

イグナチオとわたし

私は上智大学に入学してから、イグナチオという人物と深く出会いました。また、イエズス会の活動にかかわり、『ロヨラの聖イグナチオ自叙伝』や『霊操』に触れるなかで、日常生活と私たちの信仰との密接な関係に気づかされたのです。またその関係は、互いが深まれば深まるほど、生活において豊かな実りをもたらします。特に、2021年5月20日から2022年7月31日まで祝われた「聖イグナチオ年」は、この気づきを深めることができた、大切な期間となりました。この記念の年は、イグナチオの回心の500周年にあたり、イグナチオの回心体験を今一度思い起こすという趣旨で行われました。私は、この「イグナチオ年」にまつわるさまざまなイベントに参加し、なかでもある一つのプロジェクトに携わる機会をいただきました。

しかし、そこで私は、自分の未熟さや無力さに思い悩む経験を味わいました。それは、実現したいことは沢山あるのに、自分の経験や能力が不足しているがゆえに、きちんと統率できないというような葛藤です。そのような時、ある祈りに出会いました。それは、イエズス会第28代総長、故アドルフォ・ニコラス神父(以下、ニコラス神父)が遺した祈りです。今回は、この冒頭部分を紹介したいと思います。

主イエスよ、
私たちのどんな弱さを見て、
それでも、
あなたのミッションに協働するよう呼ばれたのですか?

私は、「私たちの弱さ」というフレーズで始まるこの祈りに、驚きとともに感動を覚えました。私は祈る上で、弱さ、至らなさは、気をつけて律しなければいけないものと決めつけ、「ごめんなさい」という気持ちで、自分を隠そうとしていたような気がします。しかしニコラス神父は、祈りの冒頭から自分の弱さを隠そうとしません。イエスに対して、率直に問いかけているのです。私は、この祈りを通して、自分の気持ちが楽になっていくのを感じました。

神の前で、自分の気持ちをさらけ出して、裸になって祈り、真の自分を見ていただく。弱い自分がいるけれど、神はそれをすべて知った上で、この「わたし」をこの場に招かれているのだ。私はこういった想いによって、心が満たされていきました。

ご関心のある方は、全文を参照していただけたらと思いますが、ニコラス神父は、この祈りを「あなたが、招いてくださったことに感謝を捧げます」と続けてゆきます。ニコラス神父の祈りには、自分の心の動きを一つ一つ観察しながら神の声を聞き、信頼し、より良い選択ができるよう努めていくという、イグナチオの生き方が確かに反映されていると感じられます。

 

おわりに

今回「聖人」という特集にちなみ、イグナチオ・デ・ロヨラについて改めて触れる機会をいただきました。カトリック教会においては、「聖人崇敬」というものが盛んです。私は、イグナチオという聖人を考えることを通して、次のような気づきもいただきました。それは、私たちが聖人を見る時に、それが私たち自身の「神との親しい交わり」につながるものであると良いなということです。

神は、一人一人の聖人にその人固有の呼びかけを行っています。その呼びかけに応えようとする一人一人の聖人には、それぞれ固有の生き方があるでしょう。イグナチオは、自分の体験を分かち合い、仲間たちと考えを共有し、深め合うことを通して、結果的に、現代に生きる私たち一人一人も神との親しい関係を育むことを助けています。イグナチオのイエスを友として考える親しさは、私たちにとってのイエスの親しさの深まりともつながっていくのです。

他の聖人にとっても、苦難を乗り越えて深めていった「神との親しさ」がそれぞれ見出せるはずです。よって、聖人を知る時に、いつもイエスへと至る道として聖人がいてくれるという理解を大事にしたいと思います。そうすれば私たちは、一人一人にとって固有な神との親しい交わりをより一層深めることができるのはないでしょうか。

 

【参考資料】

  • 上智学院カトリック・イエズス会センター『聖イグナチオの生涯と霊性〜聖イグナチオの回心とともに〜』、2021年10月。
  • アドルフォ・ニコラスS.J.「ニコラス神父の祈り」日本語訳、イエズス会日本管区、2020年5月。

 


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