キャンピオンとウォーと私


立﨑太悟(上智大学文学部生)

窓からかすかに漏れてくる月明かりのもとで、スコッチを片手に頁をめくる。本を読んでいると、なぜだろうか、本の世界に没入し本の世界に浸かるのではなく、日常の出来事の思い出が頭の中にぷかぷかと浮かび上がってしまう。その日に想い出したのは、このようなことだった。キリストの共同体にいると、必ずといっていいほど「洗礼名はなんですか」と聞かれる。「洗礼名はエドマンド・キャンピオン」です、と律儀に答えるのだが、だいたいの確率で「はてな」を浮かべられるか、あるいは、たまにその名を知っている方からには「珍しいですね」と言われる。他の方は、パウロです、だとか、ヨハネです、だとか、エリザベトです、だとかいって、しっくりとした(良い反応がある)自己紹介になるのに、自分のは、なにか、おさまりが悪い、すべった気がするのだ。それはそれだけエドマンド・キャンピオンという洗礼名が珍しいからだろう。

それならばメジャーな洗礼名にすればよかったではないか、と思われるかもしれない。しかし、この洗礼名は、大学の1年次の必修科目である「キリスト教人間学」という授業をきっかけに、その後もお世話になっている(ただ自分が一方的にひっつき回っているだけかもしれないが)先生が選別してくださった名前であるから、自分はこの名前を洗礼名として、キリスト者として、生きようと決意した、という思い入れ深いものなのである。

では、そのエドマンド・キャンピオンとやらはどういった人物であるのか、それはまずは辞書にあたってみようと思い、『新カトリック大事典』(上智学院新カトリック大事典編纂委員会編、研究社刊)の説明を読む。だが、洗礼を授かった後に事典で聖人について調べるのは、果たして順序として正しいのだろうか。

 

キャンピオンという洗礼名

エドマンド・キャンピオンは、イギリス40聖人殉教者の1人で、1540年から1581年を生きた人物であり、彼は1569年にイングランド国教会の助祭に叙階されたが、国教会の在り方の懸念から、1571年にカトリックに転じる。宗教的混乱にあった16世紀イギリスが、イングランド国教会のその確立とその歩みを進めていく時代のなかで、カトリックとして生きたイエズス会員である(P. ミルワード「エドマンド・キャンピオン」『新カトリック大事典』第1巻参照)。

エドマンド・キャンピオンを洗礼名にしようと決意したときは、その人物とやらが誰なのか全く知らなかった、というのが正直なところである。「キリスト教人間学」の先生であった方に、エドマンド・キャンピオンでいいではないか、と選んでもらったものの、こんな受け身な姿勢でいいのか、と言われれば元も子もない。しかし、先生からの1つのLINEメッセージが重く心に響いたのである。「単なる学者になるのではなく、生き方で示す人になってくれ」と。この一言は、自分はエドマンド・キャンピオンとして生きていく、と決意するきっかけとなった。

洗礼を授かった後、信仰に生きることとは何か、とか、エドマンド・キャンピオンとして生きていくこととは何か、と考えなければならないと自覚していたのだが、何かと怠惰な性格なので、気づいたら何もできず1年が経ってしまった。こうして受洗から約1年が経った今、やっとエドマンド・キャンピオンについて勉強しはじめた。エドマンド・キャンピオンについてイギリス人作家であるイーヴリン・ウォーが書いている。

 

キャンピオンとウォーと私

ウォーは、もとは実はアングリカンであり、10代半ば頃から失っていた信仰を、20代後半ときにオックスフォードで出会ったイエズス会司祭ダーシの影響から取り戻し、カトリックに転じた。ウォーはその信仰復活あとに『エドマンド・キャンピオン』という伝記を著した(高柳浩子「ウォー」『新カトリック大事典』第1巻参照)。

イーヴリン・ウォーは英文学史の授業で「カトリックの小説家」という括りのなかで教えられる。わざわざ「クリスチャンの小説」ではなく「カトリック」といわれるのは、ウォーがイギリス人の小説家であり、イギリスはキリスト教といってもアングリカンという宗派の国であるからである。それだからウォーは「カトリック」と英文学史のなかで特筆される。

エドマンド・キャンピオン

この2つの記述から、ウォーとキャンピオンのつながりを見出せずにはいられない。どちらもアングリカンからカトリックへと改宗したこと、そして何よりも混乱した時代を生きた、という2つの共通項がみてとれる。自分だって、新型コロナウイルスという混乱のなかを生きたんだ、とかいって、キャンピオンとウォーと自分をむりやりつなげたくなるが、そんなことは気がひける。ウォーはキャンピオンについて物語を書いている。ウォーはキャンピオンとのあいだにどのようなつながりを見出したのだろうか。

それを知るために、辞書の次は、英文学者として有名な巽豊彦先生が翻訳した『夜霧と閃光―エドマンド・キャンピオン伝』を読み進める。どんな人だって、その人のストーリーがある。キャンピオンというストーリーに、ウォーは、どんなふうに、自身のストーリーを重ねただろうか。頁を捲ると、最初にエリザベス女王が瀕死の状態であったことがまず告げられる。それは当時の宗教的混乱をあらわす象徴的な文に感じられる。

日本語タイトルの「夜霧」と「閃光」、それと重なる自分の月明かりのなかの読書。キャンピオンと自分のあいだには暗い霧が漂っているが、ウォーが、小説を通じて、どのようにキャンピオンと自分に光を照らし、つながりを見出させてくれるのだろうか。キャンピオンやウォーが国教会を出たように、自分もいつかどこかに行くのだろうか。スコッチのロックアイスが音を鳴らす。自分は頁を捲りつづける。エドマンド・キャンピオンについての勉強、そして自分の信仰の歩みは、まだまだ始まったばかりだ。

 


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