「アジア」(Asia)という単語は、一般には古代アッシリア語で「日いづる所」すなわち「東」を意味するasuに由来するという説が紹介されています。諸説あるようですが。
もとはギリシア人の世界像にあり、ギリシア人の本土(ペロポネソス半島とエーゲ諸島を指す)「エウローパ」に対して、その東のほうを漠然と指す言葉として「アジア」がホメロスの時代には使われていたようです。
新約聖書、特に使徒言行録が記すパウロの宣教旅行で言及されるアジアや黙示録で言及される当時のアジアは、ローマ帝国の行政区分の中のアジア属州で小アジアのことを指す場合もあれば、さらにその沿岸地域を指すアジアのこともあったようです(『新聖書大辞典』参照)。
1世紀半ばに南インド(伝承)、3~4世紀に東シリアのエデッサ、3世紀末に世界で初めてキリスト教を国教としたアルメニア、5世紀の中国、唐王朝(618~907)時代のキリスト教の隆盛、13世紀モンゴル、元朝中国などです。
ただ13世紀の有名なマルコ・ポーロのいわゆる『東方見聞録』(原題『世界の記述』)では、黄金の国ジパングとして日本のことが紹介されているのですが、「アジア」という用語はないそうです。
明治時代は、さまざまな新しい概念に漢字熟語を作り出していく時代で、漢字の「亜細亜」が優先され、このころの日本のアジア進出にあたり「振亜会」(1877)、改称して「興亜会」(1880)、「亜細亜協会」(1883)、「東亜同文会」(1898)などの団体名称に「亜」が盛んに使われているとのことです。
このような「欧米によるアジア進出に対抗した〈興亜〉の流れと、日本の欧米化を願う〈脱亜〉の流れは」近代日本において対立する二大潮流であった、としています。どちらも「亜細亜」を使い、やがて「東亜」「大東亜」の思想になっていくと……。
戦後、1950年代以降は、アジア諸国が植民地支配から脱し、独立していく時代、「アジア」は「アフリカ」とともに新興国世界、平和勢力の一面となっていきますが、その後の展開はご存じのとおりです。
ともかく、明治以来から太平洋戦争まで日本が歩んだ道を象徴しているのが、亜細亜やアジアだということはわかったような気がするな。戦後から今にかけて、それがどうなっているか、考えなくては、と思わされたよ。アジアン・レストランが立ち並ぶ街を逍遥しながら考えてみようかな。
(調べ・構成:AMOR編集部)