わたしの信仰生活日記ー神の存在証明ー(13)えきゅぷろ大ピンチ!?


酒井瞳(日本福音ルーテル教会信徒)

えきゅぷろ存続の危機!?

皆様お元気にお過ごしでしょうか? 私はというと、前回の記事を更新した2022年6月からこれまでの間に、色々なことがありました。特に、今年は例年に比べてアルバイト(仕事)に割く時間が圧倒的に多かったことが、この2022年を端的に表す一番の点でした。

もちろん、それ以外にも自分の人生にとっての重要な局面もありました。久しぶりに婚約者に会えたことや、2021年10月から開始した世界代表司教会議(シノドス)第16回通常総会「ともに歩む教会のため――交わり、参加、そして宣教」の教区ステージにおける、カトリック教会と日本聖公会・日本福音ルーテル教会、日本キリスト教協議会の合同礼拝は、私にとってとても大きな意味を持つものでした。それと同時に、私が引き受けているエキュメニカルプロジェクト実行委員会(通称えきゅぷろ)が危機的な状況に見舞われ、ここで歴史が終わってしまわないか不安に駆られています。

エキュメニカルプロジェクト実行委員会は、2017年の宗教改革500年のタイミングで第1回目の合同礼拝を行い、今年で6年目です。コロナ前は毎年合同礼拝を行い、コロナ禍でもオンラインのイベントを数多く行ってきました。キリスト新聞に連載が掲載されたこともありました。しかし、新メンバー不足やアクティブメンバーの急激な減少、対面の活動をなかなか行えない事などをはじめとする様々な理由から、最近は月に2回程度オンラインミーティングをしているだけで新しい計画がなかなか進まず、次の活動を模索しています。

これまで上記のような様々なイベントを行ってきただけに、今ここで活動が停止していることに、私自身不甲斐なく、申し訳なく思うとともに、強い不安を感じています。自分のこれまでの人生がエキュメニカルという土壌によって支えられてきたため、このエキュメニカルプロジェクトをこのまま終わらせるわけにはいかないですし、どうにか続ける方法や手段をみつけたいというのが心からの願いです。この活動には特別な知識も経験も必要ないので、教派を越えた交わりに興味がある方は、ぜひ各種SNSなどから声をかけていただければ幸いです。

 

キリスト教一致祈祷週間。

このように私たちがうんうん悩みながら地道に活動している一方で、もっと大々的にエキュメニカルな活動も行われています。今度のキリスト教一致祈祷週間は、「善を行い、正義を追い求めなさい」(イザヤ1・17参照)というテーマで、2023年1月18日(水)〜25日(水)に、全世界で行われます。詳しくは、こちらのページを御覧ください。

このキリスト教一致祈祷週間は1908年にポール・ワトソン神父によって提案されたもので、カトリック・プロテスタントなどの教派を超えて一致しようという運動です。私たちえきゅぷろが物凄く身近な日本のローカルな視点の中から見ているのに対して、キリスト教一致祈祷週間のテキストはこの世界が抱えている大きな課題や分断に対する強いメッセージ、差別や偏見から引き起こされる分裂の痛みなど、キリスト者共同体が抱える様々な問題に目を向けています。そして、私たちが日本では隠されていて目に見えにくい排除や抑圧に対して反対する意見を主張する必要があること、私達が目を開き、社会の中で小さくされている者たちの抑圧と分断に立ち向かい、この社会の構造が抱える不正義に対して、悔い改めと償いと和解と平和を改めて教会のメッセージとして伝えること。それが、今キリスト者たちが一致して行うべき公平さであると述べます。

この世界には、多くの見えなくされ、排除された人々のうめき声や、苦しみの声で満ちている。明日を生きる希望すらない人々がいる。食糧問題や、生活が苦しく、精神や身体の苦しみに悩む人々がいる。このような人々に対して、教会はただ言葉かけだけではなく、具体的に、現実的に、実際にどれだけ多くの人々に対して、働きかけをすることができるのか。私たちは、どのような方法で、神が創造したこの世界に対して、神の愛を示すことができるのか。そのような問いかけを強く感じます。

このようなキリスト教一致祈祷週間のテキストを読んでいると、こんなに小さな日本という島国でエキュメニズム運動に関わっている私たちと、遠い世界のどこかの国の教会が共に協力する中で、なにかこの世界に貢献できる可能性を見せていただいていると感じます。それに、自分たち以外にも教派を超えた交わりを考えている人々がいるという、強い励ましにもなります。言葉も文化も違う私たちが、同じ神を信じ、同じ教会を生き、同じ信仰の中で日々暮らしていると考えると、この世界の持つ不思議な優しさに包まれているような安堵感が、私にはあります。

たぶん、イエス・キリストは本当に、この世界を愛し、育み、私たちを見守りながら、何か良い方法を常に模索している私たち神の民に対して、希望や恵みを注いでいるのだと実感します。日本では、教会がこの世界に対して強いメッセージ性や影響力を持つという、万能感はあまり感じられませんが、人間の持つ善意を最大限に発揮してくれるものが神の力だと思います。だから、それに付随して、何か意図せずに自然とこの世界の平和と調和に貢献できればいいと感じています。イエス・キリストが望んだ神の国の実現の、少しでもお手伝いができればいいのですが。

 

心を燃やして。

教会は本来クローズドなコミュニティであるという見解もあると思います。なぜ他のキリスト教派と出会う必要があるのかわからないと思う人もいると思います。あそこには真理がないとか。キリストが現存していないというかもしれない。でも誤解や偏見をとく、ただそれだけでも、キリストの教会において無限の価値があります。少なくとも私は、自分の教派だけの所属だったら越えられなかったような苦難も、何度も他教派との交わりの中で、乗り越えることができました。多くの聖職者や修道者や神学生や信徒に出会う中で、様々なキリスト者がこの世界には存在するのだと実感しました。

また、神の召し出しは、人間の想像を超えるものだとも、常に感じていました。聖霊は常に息吹き、キリストは今も生きて働いている。そのような意味で、私にとってエキュメニズム運動は命と信仰の恩人です。それはやはり、私たちが信じているのは同じイエス・キリストなのだという確信があるからなのでしょう。色々な姿や形をして、イエス・キリストは私を助けてくれた。隣人になってくれた。病を癒してくれた。

確かに、エキュメニカルの旅とは、まさに沖に漕ぎ出すように、先の見えない不安な旅のように思う人がいるかもしれません。ですが、むしろ、光に導かれるような、そのような希望に満ち溢れる旅であってほしいと私は思います。

誰も救われない世界から、みんなが救われる世界へのシフトチェンジ。私にとってエキュメニズム運動とは、ほんとうの教会を探すたびであり、私にとっての旅する教会の姿なのだと思います。それは、ただの夢想や空想ではなく、やみくもに理想郷を追い求めるものでもありません。私たちの旅は、本当に具体的な形でいつか眼の前にあらわれる希望を、探し続ける不思議な旅です。

エキュメニカルプロジェクトもまた新たな船出として、いい方法や方向がみつかるように願い求め続けています。「道で話をしておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」(ルカ24・32参照)。わたしたちの熱意も、消え失せたわけではないのだから、また共にイエス様の声を聞きながら、共に励まし合いたいな。

 


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