カトリック(普遍)を体験する恵みの体験


土屋至(SIGNIS JAPAN会長)

カトリックの魅力はその普遍性にあり

カトリック教会の一番の魅力はその普遍性にあると思う。つまり時間も空間も超えた普遍に接することができるというところであろう。これまでの歴史の中でも、そして現代の社会でも、およそ人間の作った組織の中で最も永続的にして最も大きな組織、つまりもっとも普遍的な組織は何かと問われれば、カトリック教会とこたえるであろう。

私がこれまで生きてきた中でその普遍性の魅力を体験したことがたびたびある。そのなかでもっとも大きな体験は教会の中の国際組織の世界大会に参加したことだろう。私はこれまで4回世界大会に参加した。CLC(Christian Life Community)のManila'76とRome'79、そしてSIGNIS WorldのChianMai'07、Quebec'17である。

CLCの世界大会は、50カ国から200人くらいの大会であった。SIGNISはもっと規模が大きく、100カ国を超える国から400人くらいの参加であったという。考えてみたらこういういろいろな国が一堂に会し、そこで心を開いてわかちあえるという集まりへの参加は、スポーツ選手か学者か外交官くらいにしかチャンスが巡ってこないのではないかと思うと、これは希有の恵みの体験であると思う。政治的駆け引きでもなく、利益を巡る駆け引きでもなく、心を開いてわかちあうという体験ができるというのがカトリック(普遍)教会の最も大きな恵みであろう。

※注:「カトリック」という語は、「普遍的」ないし「世界的」を意味するギリシア語カトリコスに由来する言葉。教会の特徴を言い表す語として古代教会の信条から取り入れられている(『新カトリック大事典』「カトリック」参照)

 

79年マニラの下町の公園で手作りの凧を揚げた

1976年のCLC Manila'76は私にとっての初めての海外体験であった。最初の日、会議が始まる前に時間があったので、私は近くの公園にいって、日本から持ってきた手製のビニール凧の凧上げをはじめた。マニラの下町の公園で凧上げをはじめるとどうなると思う? 近くから子どもたちが湧いてくるように集まり、私の手から凧を取り、子どもたちがうばいあって凧上げをはじめだした。風がなかったので凧はうまく揚がらなかった。

「いっしょに遊ぼう」と誰かが言ったので、「じゃあ、歌を歌おうか?」といったのだが、マニラの子どもたちと一緒に歌える歌といえば「あ、そうだ! ドレミの歌がいい」といって何度も何度もドレミの歌を歌った。「さて次は? お、そうだ。セサミストリートの『SING』。幸いなことにこれは終わり方を知らない」これも何度も繰り返し歌い、さて歌もあきて次どうしようと思って、扇子を取り出して顔を扇いだ。その扇子は来るときに羽田空港で買ってきた新品の扇子で、それがいい匂いを発するのに気づいた子どもたちは「あこ、あこ(タガログ語の一人称)」と鼻を突き出してきた。「自分を扇いでそのにおいを嗅がせてほしい」といっているのだ。それで子どもたちを一列に並ばせてひとりひとり扇子であおいで上げた。子どもたちは顔を扇がれると喜んでまた後ろに並び2度も3度も扇がれていた。

「さて、次はどうしようか。通りゃんせでも教えるか。ちょっと大変だな」って思ったところで同僚が「おーい。会議は始まるぞー」と呼びに来た。ことばも満足に通じない子どもたちと一緒になって遊べるということはとても普遍的な体験だった。

【参考】凧の作り方

 

Rome'79で「世界で一番間違えやすい計算」をしたらほとんどが間違えた

1979年のCLC Rome'79のハッピーアワーのときに、40人くらいいただろうか、そこでみなに「簡単な計算をしてほしい」と英語で呼びかけた。

「Will you please make an easy calculation? I show you 8 numbers one by one. Then make an addition of those numbers and speak the answer at the same time in a loud voice. First! Please add these numbers and speak the answer.」

この足し算を7回繰り返し、最後に答えをいってもらうとほとんどが「5 thousands!」と答える。

「Really? Make an addition again carefully.」というとひとりのドイツ人が憤然として「なんで5000なのか? 4100ではないのか」というと、いままで5000と答えた多くの人が答えの間違いに気づいていく。私はすかさず「これは世界でもっとも間違えやすい計算なんだ」といって説明する。

しかしその結果にどうしても納得できないイタリア人がいた。かれは「絶対5000だ」と言い張った。だれかが彼に電卓を与えたので彼は電卓に数字を入れて計算したら、答えはもちろん4100である。それをみてそのイタリア人は「これは電卓がおかしい」といってその電卓を本投げてしまった。ドイツ人とイタリア人なのだなってとてもそこにいる人に受けたのである。

この「間違えやすい計算」は日本人だけかと思ったら、外国人も間違えてしまうのだと発見したときにはとてもうれしかった。これも普遍性の体験だったとおもう。

 

インド人の不思議

SIGNIS World ChiangMai'07に寄せられた世界の子どもたちの手形

「国際会議ではインド人を黙らせて、日本人をしゃべらせたら成功する」と言われるのは本当だった。会議で自由討論になるとインド人がバラバラと手を上げて、訛りの強いことばでとうとうとまくし立てていくのである。これにはちょっと閉口する。それに引き換え私もそうだが、日本人はほとんど発言しない。英語に自信がないからか。

SIGNIS World ChiangMai'07のSIGNIS Asiaの集会でExective Councilの選挙があった。するとインドは定員8人のところを8人を立候補させてきて、投票の結果全員が落選した。多の国の代表はなぜそんな愚かしいことをするのかとインド人に聞くのだが、インド人は笑って答えない。別な国の人が耳打ちしてくれた。「インドは地区ごとの自己主張が激しく、国レベルで立候補者の調整ができないのだそうだ」

そういえばSIGNIS World の助成金もインドは教区ごとに申請してきて、結果的に助成金のかなりの部分を持って行ってしまう。

 

SIGNIS の二つの流れ

世界のSIGNISには二つの流れがあるようである。一つは教会の広報担当者の流れ。SIGNISは本来信徒の組織だと思っていたのだが、半数以上は司祭の参加である。それは教会の広報担当者の多くが司祭だからであろう。もう一つはメディアの現場で働く人たち。テレビやラジオ、映画、ジャーナリズムなどの現場で働く人たちの流れ。

SIGNIS Japanも今から15年ほど前にはその二つの流れが共存していた。カトリック中央協議会の広報に事務局が置かれていたし、定例会議に広報の担当者が必ず参加していたが、10年ほど前から中央協の機構改革とかで広報から事務局が追い出され、広報担当者の出席がなくなって、SIGNISは教会の広報を担う公的機関ではなくなった。

その一方でSIGNIS Japanの前代表だった千葉茂樹監督のようなメディアの現場で働いている方も少なからずいたのだが、それがだんだん影が薄くなり、今のSIGNIS Japanは映画好きの人たちとインターネットで福音宣教をもくろむ人たちのグループになってしまっている。

その点お隣のSIGNIS Koreaはメディアの現場で働いている人たちの組織である。通常の活動ではメンバーの黙想会とか研修会とかを企画して霊的養成に努めているようである。そのSIGNIS Koreaが2022年にSIGNIS Worldの世界大会を引き受けるという。

SIGNIS Japanとしても、このSIGNIS Worldをどのようにバックアップしたらいいのかを検討中である。同じアジアの極東に位置し、同じように迫害の歴史を持ち、そして近代に支配、被支配あるいは加害、被害の関係を持っている二つの国の和解をどのように進めるべきか、このテーマは現代ではたんに二国間の問題ではなく普遍的なテーマであるといえよう。

SIGNIS WorldやSIGNIS Asiaに参加して、ちょっとがっかりしたことがある。SIGNIS Japanは20年近く25回に渡って「『教会とインターネット』セミナー――インターネットが拓く福音宣教」を開催してきた。ところがこの報告をしてもこれに興味を持ってくれる人があまり多くなく、どうもピンとこないらしいのだ。そういえばSIGNISにはテレビデスク、ラジオデスク、シネマデスク、メディアリテラシーデスク、ジャーナリズムデスクはセミナーやワークショップを開くなどして活発に活動をしているのだが、3年ほど前にもうけられたインターネットデスクの活動は見えてこないのである。

いまやインターネットは福音宣教の手段としてとても力があるという時代に、どうもこういう意識が希薄なのはとても残念だと思っている。

 

日本カトリック映画賞の普遍性

映画賞のことであるが、日本はSIGNIS Japanが企画した「日本カトリック映画賞」をもうけていて、一般に公開されたもっとも福音的な映画に映画賞を授けている。その映画賞への観客動員もSIGNISのメンバーが各教会を回ってチケットを売り込んでいるのである。こういう形態でカトリック映画賞を自分たちで開催している例はあまり多くないようである。

2017年度の日本カトリック映画賞受賞作『ブランカとギター弾き』

お隣の韓国ではカトリック映画賞は教会の別な組織が定めて運営していて、SIGNIS Koreaはそれに協賛しているに過ぎない。

スリランカの映画祭はSIGNISが主催しているのを教会が全面的にバックアップしているようで、マスメディアを利用してかなり大規模な映画祭となっている。

ときどき日本映画がどこかのカトリック映画賞の候補作に入ることが報じられてくるが、それに対してはもっと関心を持った方がいいように思う。カトリック映画賞として選ばれた作品ももっと国際的に売り込んだ方がいいとも思う。

2017年度の日本カトリック映画賞で『ブランカとギター弾き』という映画が受賞した。日本人の映画監督がフィリピンのマニラを舞台にフィリピン人の俳優を使ってタガログ語の映画を作ったのが受賞対象になった。この翌年のSIGNIS Asiaの会議でフィリピンの代表にこの映画のDVDを渡してこれをぜひ見て感想を聞かせてほしいと頼んだのだが、結局そのフォローができなかった。ぜひフィリピンでの公開までもっていって、この日本カトリック映画賞の普遍性をあかししたかったのだが。極めて残念なことである。

 


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