「隠れて、生きよ」


鵜飼清(評論家)

年が明けて2020年になり、今年は東京オリンピック、パラリンピックが開催されるからお祭り騒ぎの年ということになるだろう。お祭りはいいのだが、政(まつりごと)の方へ眼を転じると、はなはだお粗末な具合となる。

ウソとは、方便ともなるが、騙されるようなことになれば、ただ事ではなくなる。言ったことが言わなかったことになり、記録されたことが消されたり、書き換えられたりの常道を見させられていると、気持ちが前に向いていかない。

こんな日常からちょっと気持ちを変えられないかと、書棚を見ていたら、串田孫一さんのことを特集した雑誌が目に留まった。それは、『季刊「銀花」1995年第百二号 串田孫一の世界 山人として、文人として』である。ページをめくっていて、鶴見俊輔さんが「友人」というタイトルで寄稿していたのを改めて知った。

そこには「敗戦後の五十年、私は折にふれて串田の文章を読んできた。近年になって、前よりも深く心をひかれるようになった」とし、「最近串田孫一氏からいただいたたよりの末尾に『真面目に生きております』とあったが、その真面目とは何か?」と問うのである。

そして、串田さんの『考える遊び』という書物のなかの「隠れる者の咳払い」に書かれていることを紹介する。

「隠れて、生きよ」(エピクロスの断片)という言葉があり、ブルタルコスは、このエピクロスのモットーは「不動心(アタラクシア)が最も容易に得られるのは、公的な仕事を断つ生活の中にある」とし、このエピクロスの言葉の反響として、ホルチウスの「生きるも死ぬも、人に気附かれない者は、悪しき生活はしていない」(『手紙』から)を上げ、さらに、オウィディウスの「われを信ぜよ――良く隠れる者は良く生きる」(『悲歌』から)を示している。

串田さんは次のように書いている。

「どんな状態を乱世と呼ぶか、歴史はそれを特別に暗い色で塗り分け、そういう時代にはさまざまな意味での世捨人を多く出してはいるが、私達にとって外の世界は、多かれ少なかれ乱世である。自分次第でその乱れ方が大きく感じられるのかも知れないが、先ず外界は不都合な動き方をしていると思って差し支えない。
それに立ち向かっている間は、健気な社会的動物であるが、その異常な乱れ方に愛想がつき、こんなことをしていたら肝心な自分自身と向き合う暇もなく、自分を台なしにしてしまうと思った時に隠遁を考え出す。他人の眼には卑屈な逃避に映るかも知れないが、決してそうではなく、身を守るための生活の術をそこに選んだのである」
「隠れん坊でうまく隠れすぎると、心細くなって、近寄って来た鬼に咳払いでもして居場所を教えたくなるように、隠れて生きている人間の知恵を、文章にでも綴って報告したくなる」

鶴見さんは、「そのせきばらいにあたるものが、串田孫一自身にとっての彼の文章ということになるらしい」と言う。そして「ともかくもこの世にうまれてきたのだから、ゆっくりとこの世をみる、というのが、串田孫一の真面目に生きるということなのだろう」とする。

戦争を経て、敗戦後を生きた串田さんの文章には、自身が書くことへの覚悟があることが分かる。雑誌を買った当時にも、鶴見さんの文章を読んでいただろうに、齢68になって書かれた内容が沁みてきた。

そして敗戦後75年のいま、「真面目に生きております」と、私も言えるようになりたいと思うのである。

 


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