アダム・シュウォールツ著『第3の春』


前回は、英訳聖書の歴史に関する本を紹介したが、今回は、イギリスにおけるカトリック文学者・著作家についての書に目を向けてみよう。19世紀におこるカトリック復興を受けて20世紀初期~半ばに活躍した作家たちはどのようにして時代と信仰に向かい合ったのであろうか:

アダム・シュウォールツ著『第3の春』
Adam Schwartz, The Third Spring: G. K. Chesterton, Graham Greene, Christopher Dawson and David Jones (Washington D.C.: The Catholic University of America, 2005), xv+416 pages

ジョン・ヘンリー・ニューマン(生没年 1801~1890。1846年カトリックに転会。後に枢機卿となる)は、英国にキリスト教がもたらされた「第1の春」に対して、19世紀の英国におけるカトリック教会の復活を「第2の春」と呼んだ。それを受けて、本書の著者は20世紀にカトリック文学者が数多く輩出するようになった現象を「第3の春」と名付けている。著者によると、「第2の春」がニューマンに始まったとするならば、「第3の春」はギルバート・キース・チェスタトン(1874~1936。1922年カトリックに転会)から始まった。そして彼に続く主要な文学者・文筆家がグレアム・グリーン(1904~1991。1926年カトリックに転会)、クリストファー・ドーソン(1889~1970。1916年カトリックに転会)、ディヴィッド・ジョーンズ(1895~1974。1921年カトリックに転会)だということになる。著者は序論に続いてグリーン、ドーソン、ジョーンズそれぞれに一つの章を設け、彼らの転会への道とそれを反映する文学を論じ、最後にジョーンズを中心に「第3の春」のカトリック文学隆盛の時代を現代の状況と比較している。

著者の主張は、彼らが皆チェスタトンと直接あるいは間接的に関係があり、チェスタトンから刺激を受け、手本にしたというところにある。19世紀の「第2の春」の知識人や文学者たちは、すでに世俗化が始まり、またカトリック解放法が議会を通過したとはいえ英国社会ではカトリックに対する根強い偏見があったなか、カトリック信仰を弁護した。それに対して、20世紀の「第3の春」を担った人々はいずれも転会者で、ポスト・キリスト教社会と呼ばれるようになっていった英国社会における宗教に対する無関心の雰囲気の中に置かれたカトリック文化の形成に寄与した。本書がとりあげるのはそのうちの4名だが、実はもっと多くのカトリック作家がおり、今もいる。

【さらに読む】
あの才気ある雑文書き、チェスタトンは今も読まれているが、早くからカトリックに共感してはいたが、じっさいにカトリック教会に転じたのは中年期だった。彼は今もよく読まれているが、その作品の護教的な内容よりも機知と逆説に富んだ文体のゆえであろう。詩人・芸術家のジョーンズは、今日でもその詩のいくつかがアンソロジーに収録されているが、英文学の教室で読まれてはいないだろう。歴史家ドーソンは1960年代、せいぜい1970年代までの一時期、日本でも読まれたが、英語圏の若いカトリック信者の記憶に残るかどうかは疑問であろう。グリーンは今でも知られている。おそらくそれは映画『第3の男』が古典的なものになり、そのBGMの調べのゆえであろう。彼が伝えようとした核心的問題は、後のカトリック教会の変化によって前提状況を失い、彼自身、新しい関連状況を見いだそうとしたが、完全に見いだしたとは思われない。もちろん、彼の円熟期の小説の神義論的な根本問題は今日でも重要性をもっているが、1960年代以後、時代状況も教会の事情も大きく変わってしまった。これら4人の作家たちが輝いていたのは主に二つの大戦間および第2次大戦直後の1920年代初め頃から1960年代までのことだったのである。

チェスタトンは、ある意味で、19世紀のローマ・カトリック教会が英国社会の中で懸命に地歩を得て宗教的にも知的にも認知を受けるように努力していたときの構えを引きずっていたようである。ある批評家に言わせれば、彼とヒレア・ベロック(1870~1953)の文学は信仰宣伝の雑文であった。このような見方は、上流社会に属した伝統主義的キリスト教の背景からのものである。ローマ・カトリックの信仰は、まだこの階級の認知を受けていなかったのである。

第2次世界大戦の前後から、ローマ・カトリック教会は社会的に英国のものと認められ始めた。チェスタトン以外の3人はこのような環境の産物である。全ヨーロッパ的視点ではナチズムと共産主義の脅威に直面して、キリスト教的伝統への評価が高まっていった。特に、第2次世界大戦直後は、カトリック小説家が目立って優れた作品を発表するカトリック文学の隆盛期を迎え、ドーソンの歴史書は西欧全体の伝統を意識し、それがどのようにして失われたかをテーマに書かれた。ドーソンのエキュメニカルな関心はよく知られているが、彼は宗教改革を近代の世俗化と重ね合わせていたという印象を残す。グリーンはカトリック作家と呼ばれるのを嫌った。カトリックになって見えてきた人間の問題をテーマにするが、狭い意味での信心文学者でないという意識を彼はもっていたのである。

ともかく3人は、転会して加入したローマ・カトリック教会を他の人々に対して弁護する必要がなかった。グリーンの親友イヴリン・ウォー(1903~1966。1930年カトリックに転会)は、第2バチカン公会議後にカトリック教会で推進されるようになった改革をすべて嫌悪した。彼の嫌悪の的となったのは、それまで開花したカトリック文学を不可能にする時代の変化であった。チェスタトンはすでに1936年に没していたから、第2次世界大戦後のカトリック文学隆盛期を見ることはなかった。他の3人は当初は、第2バチカン公会議を歓迎していたのである。

(高柳俊一/英文学者)


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