ユダヤ独立戦争と原始教会


平和とキリスト教の問題を考えるときに、このテーマはとても重要な示唆を与えると思うのだが、なぜかこれまでキリスト教はこれを問題とせず、あいまいのまま残してある。

平和を考えるテーマの時のラジオ「心のともしび」にも似たような内容で投稿したことがあるが、なぜか「ラジオ番組には不適当」という理由で採用されなかった。

紀元1世紀から2世紀にかけてローマ帝国直轄地であったユダヤ地方はローマ支配に抵抗して2度にわたって独立戦争を起こした。それに対してナザレ派のユダヤ教徒たち(いわゆるキリスト教徒のことであるが、まだこのときはユダヤ教の一分派であった)はどうしたのであろうか? 彼らはユダヤ人として独立戦争に加わったのであろうか? あるいは武器を取らずにどこかに逃亡していたのであろうか?

新約聖書ではこのことには全く触れられていない。福音書はイエスの生涯について語ったものなので触れていないのは当然だが、パウロは時代が少し前だし、異邦人が対象なのでこれも触れていないのはムリもないが、他の使徒の手紙の中で触れられていてもよさそうなのだが書かれていない。

4世紀に書かれたエウセビオスの『教会史』ならびに5世紀のエピファニオスの『異端反論』によると、エルサレム教団は「戦いに先立って」ヨルダン川の東にあるペラという町に脱出し、エルサレムの陥落は「すべての」キリスト教徒が立ち去った後におこった、とされている。つまり、戦いには加わらなかったというのである。
ハンス・キュンクもその著『教会論』(原著1967年)においてそのような立場をとる。「パレスチナのキリスト教徒は、ローマに対する反乱には参加しなかった。そのため民族の裏切り者とみなされ、迫害されたので、彼らはヨルダン川の東の地域に逃れ、シリアとアラビアの境に当たる地方にキリスト教信仰を広めることになった」(邦訳『教会論』上 石脇慶総・里野泰昭訳 新教出版社 1976年 178ページ)。ただキュンクによればペラへ逃れたのは戦いを避けたのではなく、迫害を避けたからということになる。

このユダヤ人キリスト教徒の「ペラ移動説」には疑問も多い。『キリスト教史1 宗教改革以前』(半田元夫・今野國男著 山川出版社 1977年)は、「これは何とも奇妙な話」として、ユダヤ人キリスト教徒たちは同胞たちとともに戦って玉砕したという説もある。

一方ユダヤ人たちは、エルサレムを脱出したパリサイ派のヨハナン・ベン・ザッカイに率いられ、ヤムニアに律法学院を作る。この学院が作った「18の祈願」のなかに「裏切り者の滅びの祈願」があり、「ナザレ派キリスト教徒への呪いの言葉」が祈りとして唱えられるようになる。ユダヤ人のキリスト教徒が裏切ったことへの憎しみの強さがかえってユダヤ人キリスト教徒が戦わずに逃げ出したということを物語っているのかもしれない。この「祈願」が採用されるのは85年頃といわれる。

この「異端者への呪い」は各地のユダヤ教のシナゴーグに伝えられ、これによって完全にキリスト教徒は会堂から追放される。パリサイ派のヤムニアのユダヤ教とキリスト教徒との対立を強く意識したのはヨハネ福音書である。ヨハネ文書にはこの「会堂追放」ということが3カ所現れる。ヨハネ福音書はこのヤムニアのユダヤ教への批判に応える形で生み出された弁証の所産であるということは、マタイ福音書と同質の背景をもっていることとして大変興味深い。ただマタイ福音書とヨハネ福音書の現れ方はかなり異なっている。マタイがユダヤ人ということに固執しているのに対し、ヨハネにはもうユダヤ人への執着は全くないといってもいいだろう。

第一次ユダヤ独立戦争(David Robertsによる絵画 1850年作)

マタイ福音書には「平和」に対するイエスの教えがよく述べられている。「山上の垂訓」の「真福八端」(マタイ5:3-10)にはルカの「平地の説教」(ルカ6:20-26)にはない「平和を実現する人」「義のために迫害を受ける人」は幸いという句が付け加えられている。

さらにマタイ福音書にはこんな所もある。24章15-16節に「憎むべき破壊者が、聖なる場所に立つのを見たら、……そのとき、ユダヤにいる人々は山に逃げなさい」(新共同訳)というイエスの言葉がある。その「主の戒めをよく守って、キリスト教徒は嵐の最初の遠鳴を聴いてヨルダン川の向こう岸のペラに逃げてしまった」(『教会史』ヨゼフ・ロルツ著 神山四郎訳 ドン・ボスコ社 1956年 51ページ)という。

しかし、マタイ福音書にはこういう所もある。「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ」(10:34)。

ペラに脱出したかどうかということはともかく、おそらくエルサレム教団はこの独立戦争に武器を持って戦わなかったのではないかと思う。マタイ福音の平和主義をみても、ユダヤ教徒のキリスト教徒に対する「裏切りの呪い」の強さからみても、そう判断される。

特にマタイの平和主義の主張はマタイのおかれた歴史的背景の中で読んでいくと、とても興味深いものがある。エルサレム教団がユダヤ独立戦争で武器を取らずにエルサレムを抜け出したことは、イエスの示した平和主義に「忠実に生きた」こととしてもっと積極的に評価していいのではないかと思う。

2度にわたるユダヤ独立戦争において、ナザレ派のユダヤ教徒たち(つまり原始教会のキリスト教徒たち)は武器を取って戦わなかった、そしてそのこと故にユダヤ教徒たちからの独立/離反をはたしたということは誇らしい歴史として喧伝してもいいことだと思うもうのだが、歴代のキリスト教徒たちはそうしてこなかったということに、キリスト教の矛盾があると思うのだが、いかがであろうか?

 


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