人生の黄昏に


(匿名希望)

バレンタインデーの思い出を寄せてほしい、との依頼を受けて、心を探ってみると、もやもやした思い出を引っ張りだすことになりました。“我が人生の黄金時代”と、自身の中でいつも信じてきた中学校時代。1960年代末の、今から思えば、日本におけるバレンタインデーの勃興期とおぼしきころ、同級生の女子の一人からチョコが渡されたことがあります。手渡しではなく、机に上にプレゼントが載っていたと思います。

バレンタインデーの意味もあまりわからず、女子からの告白の意味が入っていたことも切実に考えることができず、「こんなのもらったよ!」と言って、男子仲間で分けて食べてしまったのです。からかわれながらのことだったかもしれないし、自分の側では照れ隠しだったような気もしています。そのとき、ほんとうに見かけたかどうか、心に映っただけだかわかりませんが、その女子のもの悲しそうに見つめる眼差しが、いつまでも心に焼きつく結果となりました。もう半世紀以上前のことなのに消えない思い出です。たぶんプレゼントした側の思いをずたずたにしてしまっていたに違いありません。同年の場合、女子のほうがかなりマセていきますし、自分は男子の中でもなお幼いほうでしたから、そのギャップから生まれた行き違いでした。とくに自分の側では何の思いもなかったことでしたのでしかたはなかったのですが。

やがて、別々の高校に進んだあと、一年生の夏休み前頃、その女子から交際を申し込む手紙が舞い込んで来ました。高校に入っていろいろと新しいことをしたい時期で、自分には思いもなかったことなので、誠実に、もちろん下手な字で一生懸命返事を書いたことを覚えています。片思いされるのは怖いことだという教訓が残りました。これで済んだはずのことですが、あのバレンタインデーのときの自分のまずい対応だけは、その後もずっと悔恨の対象となりました。その季節になると、甘いも苦いもなく、ただただ憂鬱な気分になるのはそのためです。

その後、幸い(?)女子から告白されたことは一切なく、自分自身も、自分の側から告白する人との出会いを夢見る青年となり、そうして、やがて配偶者となる人と出会うことになりました。夢は実現されたのですが、その相手の名前が中学生のときのその女子と一字違いの同名であることが不思議な符合でした。気にしてはこなかったことですが、今あらためて振り返ると恐ろしくなってきます。

 


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