柳沼千賀子(カトリック二本松教会)
「教皇様と被災者の集い」の会場で代表10名の一人として檀上に上がらせて頂き、教皇様と直接握手ができるという恵みに与りました。大柄な方かと思っていましたが、意外にも見上げることなく、目線はやや上ぐらいのところでご挨拶ができました。
82歳でタイと日本でこれだけのスケジュールを全てこなされるエネルギーの裏には、何としても世界を良い方向に変えなければならないという並々ならぬご決意がおありなのだということを強く感じました。時折ふらつきながら、階段の上り下りには人の手につかまりながらというお姿にも、普通の高齢者がこなす仕事量ではなく、ご自分の全てを捧げておられることを感じさせました。そうまでしても直接日本の皆さんに会って伝えたい教皇様のメッセージは、実によく日本のことをお調べになって一言一句が日本の現状にあった適切なもので、わかりやすく聴衆の心に届いたと思います。
原発問題については、「技術の進歩が人間の進歩としたい誘惑があるが、私たちは何者なのか、後世に何を残すのか」を考えなければならないとし、そのためには「私たちは控えめでつつましい生活」をひきうける勇気を持たなければならない、というお言葉に全く同感でした。
被災者については、「最初の衝撃が薄れれば衰えていくものであってはならない。一人で復興できる人はいない。展望と希望を回復させてくれる友人や兄弟姉妹との出会いが不可欠」とお話され、被災者の置かれた状況をよく理解し、福島県人の思いを代弁して下さったと思いました。
環境問題として、「私たちは地球の一部であり、環境の一部である。将来のエネルギー源に関して勇気ある重大な決断をすること。私たちにとって悪の一つは無関心の文化である。」というご発言に、私たち一人一人は原発問題のみならず、地球温暖化の問題などに関心を持って、真剣にこうした問題に向き合わなければならないと改めて思いました。
福島県人が受けた被害について、「社会構造を回復するという途方もない作業があり、完全な復興までは先が長いかもしれないが、助け合い頼り合うために一致できる日本の人々の魂をもってすれば必ず果たすことができる。」と励ましてくださったことを嬉しく思いました。
福島県人は故郷を失った喪失感、知人のいない町に住まなければならない孤立感、将来に対する不安なお気持ちかかえていますが、教皇様ご自身が移民の子で、故郷に対してノスタルジアを持っておられます。2010年に「ノスタルジアを失った時、年輩者は捨てられる。」と言われましたが、今回も「お年寄り」に言及されたことが印象に残りました。「お年寄りの知恵と経験が助けになる」と。高齢者とは歴史を作ってきた人であり、高齢者に目を向けるということは、今の自分の位置を知ることであり、その場所に敬意を払うということだということを私たちに思い出せてくださいました。