AMOR編集長 石井祥裕 逝去の報と『カトリック新聞』 今年の復活の主日の翌日4月21日、教皇フランシスコ逝去のニュースが飛び込んできました。2月14日に気管支炎と呼吸に支障を来す症状のために入院したとの報道があってから Continue reading

AMOR編集長 石井祥裕 逝去の報と『カトリック新聞』 今年の復活の主日の翌日4月21日、教皇フランシスコ逝去のニュースが飛び込んできました。2月14日に気管支炎と呼吸に支障を来す症状のために入院したとの報道があってから Continue reading
山田真人 前回の記事では、歴史神学と聖書釈義学を通して、過去の記憶を現代に循環的に反映させることで展開する教会の進展、そしてビジネスとの繫がりについてお話しました。そうした社会の中で展開する神学、そして聖霊の働きについて Continue reading
片岡沙織 その嵐が訪れたのは、突然でした。 ある時、普段と何も変わらない夜、子どもたちは「死」という恐ろしいものを発見しました。 いま思えば、常々何の気なしに私が子どもたちに注意をするときに、「そんなことしてたら死んじゃ Continue reading
今年は、日本でラジオ放送が開始された1925年3月22日から100年ということで、ラジオ放送100年、ないし端的に放送100年と言われています。SIGNISというカトリック教会におけるメディアに関する世界的な連盟活動の前 Continue reading
古谷 章 NHKラジオ「尋ね人の時間」 戦後生まれの私は当然のことながら戦時中にラジオ放送を聞いたことはない。けれど、あくまでもアーカイブスとしてのものではあるが、1945年の終戦の日の「玉音放送」や、その4年前の12月 Continue reading
森 裕行(縄文小説家) 悩み多き青春。今思い出しても私が高校2年生ごろから4~5年の学生時代、平穏無事に生き抜けたのは不思議な気がする。時代でいうと1968~1972年ごろで、学生運動が盛んで大学入試中止まであった時代だ Continue reading
石井祥裕 「ラジオ」というテーマ、「ラジオと私」というテーマに引き寄せられて、思いがけず、自分のラジオにまつわる思い出を掘り起こすことになった。記憶の底に沈みそうだったその思い出は、自分の人生の節目にあったことをよみがえ Continue reading
高校時代に全寮生活を満喫して、テキトーに受験勉強をしていたものだから、一浪(ひとなみ)することになりました。 予備校は高田馬場にある一橋学院に通うことに決めて、家から歩いて通いました。秋川高校の仲間が結構集まって来ていま Continue reading
松橋輝子(音楽学) 1935年9月29日の聖ミカエルの祝日、長崎の大浦天主堂で行われた荘厳ミサの実況中継が全国に向けて放送された。10月13日付の『日本カトリック新聞』では、「殉教の丘を越え『サンタ・マリアの鐘』が全日本 Continue reading
山田真人 前回の記事では、考古学を通して教会のシノドスにおける過去から学び、未来を考えるという循環を見てきました。その思考体系は、結果以上にプロセスを大事にする歴史の進め方とも言えると思います。そのような歴史の捉え方は、 Continue reading
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