石井祥裕
別稿では、ブスケ神父、カンドウ神父、志村神父に関して、戦争と司祭との関わり関する事実や考え方を見てきたが、ちょうどこうした問いかけもって研究を進めている宗教学者の仕事に出会ったので紹介したい。石川明人氏の一連の著作である。現在桃山学院大学社会学部准教授である石川氏(1974年東京生まれ)は北海道大学出身。専門を宗教学・戦争論とし、ユニークな研究を展開している。端的にその問題意識を示す著書として『戦場の宗教、軍人の宗教』(八千代出版 2013年)、『キリスト教と戦争 「愛と平和」を説きつつ闘う論理』(中公新書 2016年)がある。
キリスト教が絶対平和を説き、絶対の非暴力を説く宗教だと思われているとしたら、そうではなかった事実が歴史の中からたくさん見えてくる。現在の教会の教えも検証されるべきである。キリスト教と戦争との関係が一筋縄ではいかない複雑な問題であることを示す一つの事例がミリタリー・チャプレン(従軍司祭、従軍牧師)である。そして、この存在への言及が両書の発端をなしていく。米国でミリタリー・チャプレン制度が明確になるのは独立戦争の頃からというが、すでに17世紀から聖職者が民兵の戦闘や訓練に付き添うとう文化があったという。「『他者』への殺戮を正当化し、また戦死者の名誉を称えるのも、教会と牧師の仕事だった」。現在でも、もちろん存在する。広島に原爆を投下するための出撃拠点テニアン基地で働いていたプロテスタントのチャプレン、ウィリアム・ダウニー大尉と、カトリック司祭、ジョージ・ザベルカ神父は有名である。彼らは後に、そのときのチャプレンとしての務めについて深く自問するようになる。
『戦場の宗教、軍人の宗教』は、幾つかの事例・人物に即して(内村鑑三、吉田満、クリスチャンの特攻隊員の手記について、自衛隊の中のキリスト教について)検討を加えている。『キリスト教と戦争』は、戦争をめぐるキリスト教思想史をたどっていく。カトリック教会の教説についても触れていて、キリスト教全体に目を配ろうとしている姿勢は重要に思える。戦争に対するキリスト教の関わりの歴史や考え方は、単純には割り切ることも断言することも評価することもできないという実態の複雑さに触れる。別稿で探ったような20世紀日本の宣教師や日本人司祭の生涯やそこでの思いを、戦争と宗教という大きな文脈の中で考えるヒントが与えられる。そして、石川氏の問題提起にも応答していくべきだろう。その中で、われわれが向き合っている戦争危機が、第2次大戦を通して極限化された最終的な破壊・破局行為であることの意味合いをより鮮明に見つめていけるようになる。そこで宗教の対応は、これまでの歴史の中での戦争との関わりを乗り越えたものとなっていくのだろう。そうした方向での思索を大いに刺激してくれる研究である。
なお、石川明人氏の最新刊についても触れておこう。『キリスト教と日本人――宣教史から信仰の本質を問う』(ちくま新書 2019年7月10日発行)である。キリシタン時代の宣教、幕末明治以降のカトリック、プロテスタント、ロシア正教の宣教史を批判的に論及し、「本当のキリスト教」は日本に根付かないのか、日本でキリスト教徒が増えない理由、信徒たちの信仰とは何か、キリスト教は信じなくてもいい……、といった大胆な問いかけやテーマを展開している。キリスト教に関心をもつ人々(教会教派に属しているか否かにかかわらず)にとっては、無視できない、対話必至の内容である。これらの問題提起も「戦争と宗教」、「戦争とキリスト教」への問題意識を踏まえていることに留意するとき、その宣教論、信仰本質論の趣意をもっと深く受けとめていけるだろう。詳しい参考文献表も、とても役に立つ。
(AMOR編集部)