第43回日本カトリック映画賞レポート(3)授賞式と対談の様子


2019年6月22日、第43回日本カトリック映画賞授賞式&上映会(主催:SIGNIS JAPAN、後援:カトリック中央協議会広報)が、なかのZERO大ホール(東京都中野区)にて行われました。

1976年に始まった日本カトリック映画賞は、毎年、前々年の12月から前年の11月までに公開された日本映画の中で、カトリックの精神に合致する普遍的なテーマを描いた優秀な映画作品の監督に贈られます。今回の授賞作は、信友直子監督のドキュメンタリー映画『ぼけますから、よろしくお願いします。』です。

webマガジンAMORでは、映画賞の感想や対談の様子などを3回に分けてお送りします。

 

SIGNIS JAPANの土屋至会長(左)と信友直子監督

『ぼけますから、よろしくお願いします。』の授賞理由

この映画の授賞理由について、SIGNIS JAPAN顧問司祭の晴佐久昌英神父は「選ぶときはね、どんな映画だろうって緊張して映画を観るわけですけど、今日皆さんと一緒にリラックスして改めてこの映画を観て、本当に選んで良かった」と話し始めました。

認知症と聞くと、悲しいもの、つらいものだと想像しますし、この映画の中にもお父さんが怒ったりお母さんが暴れたりというシーンがあったのですが、不思議なことに会場では何度も笑いが起こりました。晴佐久神父はそれを「素晴らしいこと」だと述べ、

「自分の一番弱いところ、見せたくないところ、本当に隠しておきたいようなところ、それを観てる人たちみんながちゃんと受け止めて、それでいいんだよ、私たちも一緒だよ、それでも大丈夫だ、やっていけるよっていう、そんな思いになって、ほっとして笑っている」

と、理由を推測します。

この映画を通して、人間は神様にとても弱い生き物として作られたけれど、弱くあってもいいということに気付かされたという晴佐久神父。

「強い者が偉そうにして、自分の弱いところを隠して、お互い競い合っているような世の中で、ぼけますからよろしくお願いします、弱いけどよろしくお願いします、こんな私ですけどよろしくお願いします。そう言い合えるなら、こんな素晴らしいことはない」

と熱く語りました。

また、SIGNIS JAPAN顧問司教の菊地功大司教はあまり映画を観ないそうですが、

「お父様とお母様の長年にわたる愛情の深さが、だんだんと厳しい状況の中になっていく中でも、さらにそれが目に見える形で出てくる。そしてそれに対する家族の絆というものに魅了されて、取りこまれて、もう惹きつけられて、しっかりと観させていただきました。(中略)映画を通して、本当にキリスト教的な神がいるんだ、人はお互いに愛し合っているんだ、助け合っているんだということを知り、自身の信仰も深められる」

と述べました。

 

親が命がけでしてくれる最後の子育て

賞状等を受け取った信友直子監督は、晴佐久神父の話を聞いて、映画を観にきた人(お母さんの介護をし、看取ったそうです)に「信友さん、介護っていうのは親が命がけでしてくれる最後の子育てなのよ」と声をかけたれたことを思い出したと言います。そのとき監督は「ふーん」とだけ思ったそうですが、あとから「言われてみれば本当にそうだな」と気付いたそうです。

「人間誰しも老いて、亡くなっていきます。亡くなる前には父みたいに腰が曲がってよたよたしたり、母みたいにわけがわからなくなって『私はどうしたんかね』って、本当に弱い存在になって亡くなっていく。だけど、それも含めて人間なんだから、お前はわしらの生き様を死んでいくまでちゃんと見届けなさい、わしらは何でも見せてやる、っていうふうに父と母は言ってくれたのかなと。そのために私に色んなものをありのまま見せてくれて、私はたまたまこういう仕事をしていますから、それをカメラで撮って、皆様にお伝えしなさいと、父と母が言ってくれたのかなと。そういう意味では、この作品は、父と母と私の三人の共同作品だと思っています」

 

菊地功大司教

『ぼけますから、よろしくお願いします。』というタイトル

対談が始まり、この映画のタイトルから会場が埋まるかどうか心配していたと言う晴佐久神父ですが、この日は約1000人もの観客が来場し、監督も「こんな大きいホールで、これだけいっぺんに人が集まったのは初めてなので、ちょっと圧倒されております」と驚いた様子。

『ぼけますから、よろしくお願いします。』という衝撃的なタイトルは、監督のお母さんが年明けに「明けましておめでとうございます。今年はぼけますからよろしくお願いします」と言ったところからとったものです。自虐ネタやブラックユーモアを交えて人を楽しませる人だったということもあり、「母らしいなと思った」とのことでした。

 

娘として、ディレクターとして

この映画の中では「娘」であり、しかし、カメラを回し続けている「ディレクター」でもある信友監督は、この作品を制作している間の葛藤を打ち明けました。

「私(=娘)であることとディレクターであることっていうのが、撮っている間に境目がわからなくなってきて、娘としてはカメラを撮ってる場合じゃなくて、手伝わなきゃいけないんじゃないかっていう葛藤もあった。やっぱり娘としては何とかしなきゃ、これを撮っている私は親不孝なんじゃないかとかいろいろ思うんですけど、やっぱりディレクターとしてはすごくいい画(え)なんですよね。なので、そことのせめぎ合いが、すごく難しかったですね、自分では」

それに対して、晴佐久神父は「でも、その両方がちゃんと両立しているっていうのがこの三人の親子ならではの信頼関係」だと述べます。

観客側としても、撮ってないで手伝ってあげなよと思わず言いたくなるシーンがいくつもありましたが、

「でも、それが真実じゃないですか。(監督が)いないときはそうしてるわけだし。そこをしっかりと愛情をこめて撮っているっていうカメラのこっち側の気持ちがね、ひしひしと伝わってきて、そこにまた私感動させられるんですよ」

と晴佐久神父が言うと、監督は

「ガタッてカメラが揺れるときがあるんですよね。その瞬間に私、カメラを置いて手伝おうと思ってるんですよ。そういうカメラが揺れる瞬間の心の揺れみたいなのが皆さんにも伝わっているのかなっていう気がしますね」

と答えていました。

 

生まれて初めて見る父の怒った姿

授賞理由でも話題になったお父さんが怒っているシーンですが、監督はそのとき生まれて初めて怒った父の姿を見て、そのシーンを入れるかどうか最後まで悩んだと言います。しかし、お父さんが怒っているのは、お母さんが自分を助けてくれる周りの人への感謝の気持ちを忘れてしまったからだと気付いたそうです。

「父は母が認知症になったからできなくなったことがあったとしたら、それについて怒ったことは一回もないんですよ。父は感情に任せて怒っているわけではなくて、母のことをちゃんと叱っているんです。母は認知症になったからもうしょうがないと思って何もかも諦めるとかじゃなくて、ちゃんと母に人として向き合って、悪いことは悪いって言ってちゃんと叱ってやるっていうところがやっぱり父はすごいなと思ったので、そのシーンは絶対に入れたいって思ったんです」

信友直子監督

また、このシーンをお父さんがどう思うかドキドキしていたという監督ですが、町の人から「お父さん、かっこよかったよ」と声をかけられたお父さんは「もしかしてわしがおっかあ(お母さん)を怒るところが『仁義なき戦い』みたいでかっこよかったんかのう」と言っていたとか。

「父があのシーンを恥ずかしいと思うのではなくて、むしろかっこいいと思っていてお気に入りだと思ったことに私はちょっとほっとしました」と笑みをこぼしました。

 

母が認知症になったからこそ気付いたこと

晴佐久神父が「かっこいい夫婦ですよね、ご両親」と言うと、「娘としたらかっこいいかどうかちょっとわからないんですけど」と答えつつも、「私もすごいなと思ったのは妻がピンチに陥ったら、あそこまでやってやる男なんだっていうのは、それがかっこいいなと思って」と監督。

「両親がここまで思い合っているということが自分の目にもわかるようになったのは、母が認知症になったからこそ得たギフトみたいなものだと思います」

また、監督は以前ほかの家族の認知症の作品を撮ったことがあるそうですが、「そのときはその家族のことを不幸だと思ってたと思うんですよ。つらい本人とつらい家族の話っていうふうに思ったまま作品を発表した」と言います。そのため、自分の母が実際に認知症患者になったとき、最初はすごく落ち込んだそうですが、「認知症になったから発見したものもある」とのこと。父が妻思いのいい男だということや、母もずっと父に甘えたかったんだということに気付き、

「母が認知症にならなければ、二人の絆が深まったということに気がつかなかったので、これもそういう運命なのかなと。悪いことばっかりではないなというふうに思うようになりました」

と話しました。

ご両親が手を握っているシーンが美しいと感動したと同時に、これを撮っている娘の気持ちはどうなんだろうと考えてしまったという晴佐久神父に対して、「娘としてはめっちゃ恥ずかしいので、ちょっといい加減にしてよって思ってるんですけど、ディレクターとしてはなんて良いシーンなんだって思いながら、本当に半々って感じです」と監督が答えると、会場には笑いが起こりました。

 

迷惑かけあっても一緒にいるのが家族

作品の中で、お母さんが「迷惑じゃろう」と言うと、監督が「迷惑じゃないよ、家族じゃけんね」と返すシーンがあります。そのセリフを聞いた晴佐久神父は「なるほど、迷惑かけあっても一緒にいる、これが家族の定義なのかな」と思ったそうです。

晴佐久神父は現在多くの「福音家族」を主宰していることもあり、

「血がつながってるとか関係なしに、一番恥ずかしいところ見せて、そしてお互いに迷惑をかけあって、それでもなおも一緒にいるというのが家族であり、(血縁であっても)今はバラバラになって孤立している人が多いし、大きな家族をちゃんと作っていきたいなっていう励ましにも感じました」

と述べました。

また、監督によるとこのセリフは「本当に言った自分ですら覚えてないくらい、自然に口をついて出たこと」だそうです。実はお母さんが昨年の11月に脳梗塞になり、現在も入院中で言葉を発することができないとのこと。そのため、「母のどんな暴れているシーンとか、どんな悲しいことを言っているシーンでも、そう言われたことが懐かしくて愛しいっていうふうに、そういうことすら言えなくなった今になったらすごく思います」と監督は語りました。

 

晴佐久昌英神父

父の想いを引き継いで

監督のお父さんは大学で文学をやりたかったそうですが、戦争のせいでそれが叶いませんでした。そのため、「お前は自分の好きなことをやりなさい」というのが信友家の唯一の教育方針だったそうです。

その気持ちに応えていこうとする監督の姿に対し、晴佐久神父は「私が神父になろうって思ったときに、父にそう打ち明けたら、自分は好きなことができなかったと。本当にやりたいことができない人生だったと。お前はいいなと。お前は自分の好きな道を行けと。そう言っておいおいと泣いた」と自分の過去の体験を振り返り、父親の一番弱いときの吐露があったからこそ、「お父さんが果たせなかったこと、それを自分ができてると感じてるっていうところにものすごく共感するんです」と話します。

一方で、監督は「やっぱり親孝行っていうのは近くにいて世話をしてあげることなのかなってまだ思ってるところもあるし。すごくいまだに揺れています」と複雑な心境を語りました。

そして、晴佐久神父は

「これだけ大勢の人がいて、それぞれにいろんな親がいるんでしょうけども、やっぱりその親のいろんな犠牲の上に私たちが成り立っていて、そして今度は自分たちが犠牲を払って次の世代のためにっていう大きな流れがね、この映画の中にあって、私は本当に感謝しています」

と対談を締めくくりました。

(文:高原夏希=AMOR編集部/写真提供:生川一哉)

 

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