第43回日本カトリック映画賞レポート(2)認知症によって「その人」は失われるのか――『ぼけますから、よろしくお願いします。』を観て


2019年6月22日、第43回日本カトリック映画賞授賞式&上映会(主催:SIGNIS JAPAN、後援:カトリック中央協議会広報)が、なかのZERO大ホール(東京都中野区)にて行われました。

1976年に始まった日本カトリック映画賞は、毎年、前々年の12月から前年の11月までに公開された日本映画の中で、カトリックの精神に合致する普遍的なテーマを描いた優秀な映画作品の監督に贈られます。今回の授賞作は、信友直子監督のドキュメンタリー映画『ぼけますから、よろしくお願いします。』です。

webマガジンAMORでは、映画賞の感想や対談の様子などを3回に分けてお送りします。

 

認知症によって「その人」は失われるのか――『ぼけますから、よろしくお願いします。』を観て

矢ヶ崎紘子(AMOR編集部)

人間が内面で経験している主観的世界を他者と共有することはそもそも難しく、われわれは健康であっても、日々生じるずれを互いに調整しながら生きているといえる。いわゆる認知症の場合は、認知能力の低下にともなって調整すべきそのずれが大きくなり、調整が困難になると、以前のその人が失われてしまったとみなされる。だが、その人は失われてしまうのだろうか。

本稿はアルツハイマー型認知症を題材とした映画『ぼけますから、よろしくお願いします。』を紹介したあと、アルツハイマー病患者の内面世界を、若年者の精神疾患からの類推をもって眺めることにする。そして、人間の尊厳の根拠は能力ではなく、人間として存在していることそのものにあるという考えを紹介し、最後に筆者の経験を少し書いて終わる。本稿により、いわゆる認知症に対する忌避・おそれがいくらかでもやわらぐことを願う。

 

一、『ぼけますから、よろしくお願いします。』

『ぼけますから、よろしくお願いします。』(信友直子監督、2018年)は、娘である監督が、両親の生活を撮影した映画作品である。監督の父(以下単に「父」)は、耳は遠いがアルツハイマー病ではない。監督の母(同「母」)は、耳は遠くないが、物忘れが多くなり、アルツハイマー型認知症と診断される。映画の前半、耳の遠い父と、物忘れする母とのやりとりはユーモラスでもあって、上映会場でしばしば笑いが起きた。しかし、体力が低下して介護サービスを受けるようになると、母の様子が変化する。

若いときには簿記の資格をとり、社交的で、結婚後も書道を楽しみ、料理、裁縫、写真と多才であった母の変化が表れてくるのは次のような場面である。薬を服んだことを覚えていないとき、あざができていても転倒したことを覚えていない(父は耳が遠くて、母が転倒したときの音が聞こえなかったと言う)とき、母は不安そうに言う。自分は馬鹿になってしまったんだろうか。どうして覚えていないんだろう。父は、病気だからしかたないと返事する。父の言葉にはいつも思いやりがある。

信友直子監督

もっとも印象的な場面はこうである。母はいらだってものをたたく。そして嘆く。みんながわたしを邪魔にする。こんなに迷惑をかけるのなら死んでしまいたい。いないほうがいいのなら死んでしまいたい。だれか包丁を持ってきてくれ。わたしは死ぬ。それを見ている父ははじめ、みんながよくしてくれているのだから感謝して生きろと諭すが、だんだんに険しい顔つきになり、ついに、それなら死んでしまえと一喝する。そして母について、気位が高い、我が強いと評する。

とはいえ家族は根本的に険悪な関係というわけではなく、筆者にはこの映画を通じて、監督が両親に対していだく尊敬と愛情に満ちたまなざしを共有することができたようにおもわれた。

 

二、言葉やサービスを受ける側の解釈:精神疾患からの類推

さて、作中で母が寝込み、死ぬと言い出し、近親者がその内面を共有できなくなる場面で、これは老いの一環としてのアルツハイマー病に固有の事態ではないということに気がついた。若年者であっても精神疾患に罹患することがしばしばある。そのとき、患者と家族の間に同じようなことが起こる。患者はしばしば体力と気力が減退し、いらだち、絶望感、無価値感をおぼえる。患者が、死にたい、死ぬ、みんなから邪魔者扱いされていると言う様子は作品中の母の場合と非常によく似ている。このようなとき「感謝して生きろ」という言葉はむしろ、お前は恩知らずだ、感謝が足りないから病気になったのだ、という呪いと解釈されることがある(ここでは言葉を発する側の意図ではなく、受ける側の解釈を問題にしている)。病む者の内面と健康なひとのそれとの間には、特有のずれがある。

ここから想像するに、アルツハイマー病において、おそらくは物忘れや失禁、疲れやすさなどよりも大きな問題がある。たとえば、母が服薬時に薬を数えて、数が合っていたと喜んでいる場面で、母がその前に服薬していたことを娘が指摘する(=薬を服んだことを母が忘れてしまったことを指摘する)場面がある。これは些細なことではあるが、母にしてみれば、おまえは馬鹿になってしまったのだという宣告に聞こえたのかもしれない。この宣告は、患者自身では気がつかない物忘れそのものよりも大きな影響をおよぼしうる。

同様に、母が洗濯や料理、さらには着替えの介助を受けるとき、おまえはそれをできない存在になってしまったのだ、という宣告を日々感じていたのかもしれない。商業の場合には、財物やサービスの受け手が「あなたにはわたしたちの製品/奉仕を享受する価値があります。わたしたちから受け取って、あなたの価値が高まるのを感じてください」というメッセージを受け取ることも価値の大きな部分を占めるのだが、介護においてもし「あなたはもう(永久に)これができないから、やってあげます」というメッセージを受け取ってしまう場合には、介護サービスは受け手の精神的生活の質を高めるという目的を達成できないことになってしまう。サービスを受けることによって、受け手が自分の価値が高められたと感じられない、あるいは自分の価値が損なわれていると感じる場合には、残念ながらサービスはうまくいっていないといわざるをえない。

 

三、存在の尊厳

では、健康な人には病める人の内面は決してわからないし、介護は被介護者に挫折しかもたらさない、のであろうか。ここで回り道をしてみよう。ジャーナリスト、アナンサスワーミーの『私はすでに死んでいる』(藤井留美訳、春日武彦解説、紀伊国屋書店、2018年)という書籍は、脳と自己意識の不具合に関するさまざまな事例を取材・報告しているが、著者のアルツハイマー病についての見解は次のように要約できる。アルツハイマー病は、自分は誰かという一貫した物語を語る能力を破壊する。だがこの能力が失われたとしても、身体はその人らしい振る舞いを見せることがある。つまり認知能力が失われたとしても、認知以前の仕方で身体に存在する人格性というものがある、というものである。

晴佐久昌英神父との対談の様子

同様のことを内省に基づいて述べるのがキリスト教哲学者宮本久雄である。かれはたびたび、知的能力が失われたあとの自分について語る。「ぜーんぶ忘れちゃって、いまできてることができなくなったとき、神様はわたしの能力ではなく存在に語りかけるだろう。それがどんなかは、神様とわたししか知らない。これはわたしにとって、おおきな慰めだ」と(2019年3月、談話による)。

身体、あるいは存在そのものに存する尊厳という考えは、被介護者だけでなく介護者、あるいは患者に接する人にとっても慰めとなる可能性がある。なぜなら、「わたしはあなたの(能力ではなく)存在に敬意をいだいています。わたしの奉仕を受けてください」というメッセージは、「あなたにはもうこれができないからやってあげます」というメッセージと異なって、被介護者の尊厳を損なうことなく、あるいは尊厳を増す形で接することを可能にするだろうから。

 

四、おわりに――同調性を保つという方法

ここに書いたことがひとの話を引いただけではないことを示すために、筆者自身のことを少し書いておわりにしたい。筆者は祖母の葬儀の後三ヶ月、アルツハイマー病の祖父と二人で暮らした。というのは、祖母がいないならここにいてもしょうがないといって、祖父は祖母と一緒に暮らしていた施設を解約し、突然帰宅したのである。それで、当時祖父の留守宅に下宿していた筆者が一緒に暮らすことになった。とはいえ、祖父は体は丈夫で、各種サービスも受けていたから、筆者は介護というほどのことは何もしていない。

祖父の話はあまり整合性がなかった。前後関係、因果関係、日付の記憶もあいまいだった。わたしや妹はそれを「じいちゃん時間」と呼んだ。また、祖父はたびたび祖母のことを「本当に死んじゃったのかな」といっていた。相続について家族を疑うようなことも口にした。わたしは祖父の内面といわゆる外の世界の現実が異なっていても、説得しないことにした。いわゆる事実を認めさせたからといって記憶が正確になるわけではなく、かえってストレスになるだろうと思ったからである。祖父は壊れてしまったのではない。人生の中で変化しているだけなのだ。わたしは祖父の話から客観的な事実を再構成しようとするのはやめ、今のじいちゃんにとってはそれがリアルなのね、と思うことにした。

説得するかわりに、同調性を保つようにした。『ぼけますから、よろしくお願いします。』の中にも、たびたび「ほお」という相槌があって、相手の考えに自分を沿わせる同調性を感じた。祖父とわたしは、たとえば祖母の遺骨に供える花を一緒に買いに行った。また祖父は、お前の義理のあるところで買おうといって、わざわざわたしのアルバイト先の店に一緒に来てパンを買ってくれた。祖父はゆっくり歩くようになっていたので、一緒に歩くわたしもゆっくり歩いた。わたしが幼く、祖父が壮健であったころと同じ同調性があった(ただし、整合性のない世界に同調する家庭生活と、大学院での研究生活を両立するのは難しかった)。

その後祖父も亡くなったのだが、遺体に対面し、火葬場で骨を拾ってさえ、別離という感覚はなかった。いまもない。アルツハイマー病になって、かつての強健な祖父が失われてしまったという嘆きが家族のなかに起きた。けれども、認知能力以前の、その人の存在に住まう尊厳に付き添うならば、ぼけたからといって(さらにいえば、死んだからといって)その人が失われるわけではないように思うのである。

(写真提供:生川一哉)

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