1517年、マルティン・ルターが「95ヶ条の提題」を発表したことによって始まった宗教改革は、瞬く間にヨーロッパ中に広まり、平民から貴族に至るまで多くの支持者を獲得しました。大貴族と結びついた宗教改革思想の拡大は、当時の神聖ローマ皇帝カール5世に危機感を抱かせ、カトリックとプロテスタントの関係は緊張の一途をたどりました。やがて両勢力の対立はシュマルカルデン戦争を招き、最終的にカール5世はアウクスブルクの宗教和議によりプロテスタントを容認することとなりました。このように、カール5世は宗教改革の時代で中心的な役割を果たした人物でした。今回は、そんなカール5世の名を冠したビール「シャルル・カン」(Charles Quint/カール5世という意味)を紹介します。
ブルゴーニュ公フィリップ4世とスペイン女王フアナの間に生まれたカール5世は、中世から近世へと移り変わるヨーロッパの時代を象徴する人物でした。
父方の祖父は「最後の騎士」とも呼ばれた神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世。彼はハプスブルク家の勢力基盤を築き上げた偉大な皇帝でした。マクシミリアン1世は、ヨーロッパでもとりわけ豊かなブルゴーニュ公国を継承した女公爵マリーと結婚し、これによって現在のベルギーやオランダにあたるブルゴーニュの地がハプスブルク家の支配下に入りました。
一方、母方の祖父母はカトリック両王とも呼ばれるイサベルとフェルナンド。イベリア半島のレコンキスタ最終段階において、キリスト教勢力のアラゴン王国とカスティーリャ王国は急接近し、両国の国王と女王、つまりカトリック両王の結婚によりスペインが成立しました。
しかし、二人の間に生まれた嫡男は早世し、王位継承者は娘のフアナとなります。けれども、フアナは「狂女」と呼ばれ実権を握ることができず、彼女の領土も実質的にハプスブルク家のものとなりました。
こうしてカール5世は、祖父からドイツ、祖母からベルギーとオランダ、母からスペインを継承し、16世紀初頭のヨーロッパで最も強大な権力を持つ君主となったのです。
カール5世はヨーロッパ史、いや世界史においても極めて重要な人物です。彼の功績をここで語り尽くすことはできませんが、「酒は皆さんと共に」の連載らしく、お酒にまつわる逸話をひとつご紹介しましょう。
ワインよりもビールを愛したと伝えられるカール5世が、ある時、現在のベルギーにあたる地方の村を訪れたときのことです。
村人たちはふだん、持ち手のない容器でビールを飲んでいましたが、皇帝陛下をお迎えするにあたり、特別に上品な持ち手付きのジョッキを用意して待っていました。
ところが、いざカール5世の前に立った給仕の女性は、緊張のあまりジョッキの持ち手を握ったまま差し出してしまい、皇帝はそこを掴むことができませんでした。
この失敗を反省した村人たちは、翌年こそはと、持ち手を二つ付けたユニークなジョッキを作りました。
しかし再び緊張してしまった給仕の女性は、こんどは両手でしっかりと持ち手を握ってしまったのです。
三度目の年、カール5世が再びその村を訪れたとき、彼女はまたしてもジョッキを両手で抱えてやってきました。けれども今回は、ジョッキに三つ目の持ち手がついていたのです。
三度目にしてようやく、カール5世は持ち手からジョッキを受け取ることができました。
この心のこもったもてなしに喜んだカール5世は、感謝の印として、さらに持ち手が四つ付いた特注のジョッキを注文したと伝えられています。
このような逸話が伝わるベルギーでは、20世紀に入り、400年前の統治者カール5世に敬意を表して、彼の名を冠したビール「シャルル・カン」が醸造されるようになりました。今日、ベルギー・ビールである「シャルル・カン」は、かつてカール5世が治めたベルギーやオランダはもちろん、フランスでも広く親しまれています。
石川雄一 (教会史家)

