別記事でもアメリカでのイースターエッグにまつわる体験記が寄せられていますが、日本でも近年、イースターエッグを作り(彩色したり色セロファンで包んだりして)、教会で子どもたちが配るといったミニ行事が行われるようになっています。ヨーロッパの慣習として、知られるようになったこの「復活祭」と「卵」と「ウサギ」について、ウィキペディアでもその由来に関する諸説や、各国、各民族の多彩な風習が紹介されています。このAMORでも2022年の4月号で、そんな事例や由来説を紹介しました。ウィキペディアも各国版で質の違いがあり、この手の事項の日本語版はしばしば英語版の焼き直しであることも多いのですが、たとえばドイツ語版などはドイツ語圏や東欧に伝わる各地の風習も紹介しつつ、由来説なども学術文献に依拠しているなど、糸口として有益な場合があります。
そうした解説情報の典拠となっている学問的な解説記事の一つをここで紹介してみたいと思います。ずばり「復活祭の卵と復活祭のウサギ」(Osterei und Osterhase)と題された、テオドール・シュニッツラー(Theodor Schnitzler, 1910-1982)というドイツの典礼学者の論考です(1960年刊行の書に収録)。以下は、その要点部分の意訳的抄訳です。
「復活祭の卵と復活祭のウサギ」(Osterei und Osterhase)
テオドール・シュニッツラー(抄訳)
礼拝と生活、典礼と家庭、祭儀と日常、聖堂と家の架け橋となるのが慣習です。それは、救いの出来事を記念し祝う典礼祭儀に土着性と郷土の香りを与え、高度な礼拝文化を庶民的な心情で満たします。このことは、とりわけ復活祭の卵と復活祭のウサギについて民間に伝わる復活祭の慣習にも当てはまります。民俗学の成果は、復活祭の卵も復活祭のウサギも、カトリックの典礼から由来していることを示しているのです。
復活祭の卵の慣習はどこに由来するのでしょうか。まずドイツ語のオースターアイ(オースター=復活祭、アイ=卵、英語のイースターエッグ [Easter Egg] に相当)という語にこだわるべきでありません。バイエルンでは、アントラスアイ(Antlaßei)と呼ばれています。これは、聖木曜日をドイツ語で、アントラスドンナースターク(回心者の罪が赦されて教会と和解する日の意味)に関連する呼び名です。ほかに、パースクアイアー(Paaskeier)という言い方もあります。これは復活祭のことをパスカ(Pascua)と言うラテン語(もともとは過越祭の意味)に由来します。このほかロートアイアー(Roteier)、つまり「赤卵」と呼ぶ例もありました。
もちろん、この慣習はドイツ語圏にとどまらず、フランスにもあります。16世紀には、国王たちが復活祭の頃に彩色された卵や金メッキが施された卵を臣下や臣民に贈与する慣習がありました。彩色で飾られた卵の贈与という慣習は、スペイン、イタリア、イングランド、スカンジナビア諸国、東ヨーロッパ、ロシア、オスマン・トルコ、イラン、イラクまで、カトリック教会においても正教会においても知られています。
ドイツ語圏での復活祭の卵に関係する最古の記録は、12世紀の復活祭における食べ物の祝福に関するものです。四旬節の間は、グレゴリウス1世大教皇(在位590-604)が定めた規則により卵を食すことが禁じられていました(現在の「小斎」の規定にも含まれています)。復活祭が来て、四旬節の定めから解放されて卵や肉や乳製品などが再び食べられるようになるときにあたり、食べ物への祝福の祈りが行われるようになります。そのことのために復活祭には各家から食べ物を持って教会に急いだともいわれています。宗教改革者がこの慣習を批判していることからも、逆にそれが広まっていたことがわかります。そして、この祝福慣習は、プロテスタントの教会圏にも広まっていくのです。復活祭における食べ物の祝福という儀式が、復活祭の卵の由来の第一であることは明らかです。復活祭の卵とは、祝福の卵にほかなりません。
復活祭の卵の慣習には、もう一つの側面があります。中世の裁判の判例集から照らし出されるものです。広い社会慣習として、復活祭のときに支払い期限を迎えた土地賃貸料や何らかの報酬の支払いを現物払いとして卵を差し出すことで行ったということです。果たしてこのような現物供与が、教会での卵の贈与と関連があるのかどうかは不明です。教会では、洗礼・堅信の代父母が代子に、父親が子どもたちに、修道院長が修練者にこれを贈るという慣習がありました。これが典礼的な祝福の展開行為なのか、保護的な立場にある者の義務を表現する儀礼と考えられていたのかは不明です。
これと関連して考えなくてはならないのは、なぜ、復活祭の卵は彩色されるのかということです。現物払い用の卵は無色でした。それは一定期間、保存されなくてはならなかったからです。それに対して、復活祭の卵は、すぐに茹でて、すぐに祝福されます。これら二種の卵を区別するために、卵を茹でるときに玉ねぎの皮を加えて赤茶色にしたということがありました。こうした、かなり実際的な理由のほか、復活祭に祝福される卵には、それにふさわしい装飾という意味でも彩色が慣習となりました。
いずれにしても、中世において発展する復活祭の卵の慣習には、復活祭の特徴をなす、喜びに満ちた祝福という趣が流れています。これは、中世初期(イスラム教勃興以前に)すでに広まっていたらしいのです。もちろん、キリスト教以前の慣習、キリスト教の外の文化慣習などの影響も少なからずあったでしょう。その場合もゲルマン諸民族というよりは人類共通の農耕牧畜社会の宗教性が関係していると考えるべきでしょう。
それでは復活祭のウサギの慣習はどこに由来するのでしょうか。ウサギは、復活の卵を産む動物として選ばれたのです。ティロル地方では、復活祭の卵をもたらすのは、めんどり(雌鶏)でした。ほかの地方では、コウノトリやカッコウでした。さらにウサギとその地位を争ったのが、天敵キツネでした。ヴェストファーレン州では、復活祭の卵が「キツネの卵」と呼ばれてさえいたのです。
復活祭のウサギの跡をたどるときに参照される一つの慣習があります。「復活祭のかたどりパン」(Ostergebildebrot)です。これは、祝祭日の慣習として、中世初期のミサ典礼に含まれていた、エウロギア(=「祝福されたパン」:聖別されたパン=聖体と区別されて信者に施与されていたもの)の後身です。信者はミサに行くとき自前のパンを教会に持っていき、司祭に祝福をしてもらって、各家庭に戻り、そこで食べるというものです。中世後期に、聖体に聖別されるために供えられる(現在にまで至る)いわゆるホスティア型のパンは、日常用に作ることが禁じられていました。そこで、なにかの形にパンを作ろうとするときには、別なものにするということが行われました。
ドイツのパンとして有名なブレーツェルは8の字型をしています。ほかに動物の姿に似せてかたどられるパンも流行し、定着していきます。先ほど、復活祭の卵を玉ねぎの皮と一緒にゆでて赤茶色にしたという慣習に触れましたが、赤くする理由としてウサギの毛皮に近いとか、キツネの色に近いということが語られ、それが、子どもたちに復活祭の卵を持ってくるのは、ウサギだよ、とかキツネだよ、と物語られるというふうになっていきました。
ウサギについてはさらに説があります。ウサギは中世の画家たちにとっての神のシンボルだったというのです。ギリシアのプルタルコスの時代、すでにウサギは、常に目覚めている神存在の象徴だったといわれます。古代から中世にかけて広まった『フィジオログス』という一種の事物に関する寓意解説書によると、このような特徴をもつウサギはライオンと匹敵する存在でした。百獣の王は常に目を開いて追う者に恐れを与えるところから、ライオンは死の眠りに打ち勝った復活の主キリストの象徴とされていたのですが、ウサギにもそのような意味が考えられるようになります。復活祭のかたどりパンがウサギの形で作られるようになる背景の一つでしょう。その後、キツネよりもウサギが主になっていくのは、その可愛いらしい姿からだったことでしょう。復活祭にふさわしい唯一の動物となっていくのです。
要約すると、復活祭の卵と復活祭のウサギは、復活祭における食べ物の祝福とエウロギアと呼ばれた祝福されたパンに、その究極の源流があります。この慣習はとても意義深いものであると考えます。典礼からの単なる派生形態として排除するべきではありません。風化しそうだとしたら、その意味を明らかにして、見直し、純化することを考えなくてはなりません。典礼とのつながりを回復することが大切です。
復活祭での食べ物の祝福というものを復興できないでしょうか。卵もその一環であることを示しつつ。そうしたら、子どもたちにも、復活祭の意味、その神秘、その喜びを感じさせることができるのではないでしょうか。それは、また四旬節の節制の意味について、よりよく教えることにつながるでしょう。降誕祭のときのクリスマスツリーや厩の模型が子どもたちにとって、ご降誕の神秘への入り口となるように、復活祭の卵や復活祭のウサギが復活祭の神秘への入り口になっていけたらと思います。
【原文】
Theodor Schnitzler, “Osterei und Osterhase”; Paschatis Solemnia, ed. B. Fischer, J. Wagner (Freibug-Basel-Wien 1960) 267-274.
(翻訳後記)典礼の周縁に生まれる地域や家庭での慣習の由来に関する一説です。この論考は、現在のような聖週間と復活祭の典礼が出来上がる第2バチカン公会議直前までの典礼および信心慣習の研究を踏まえたものです。ここでの見方を一つの柱にして、復活祭の卵やウサギに関して得られる諸説、諸事例を見ていくことが判別の頼りになってくれると思います。
(AMOR編集部)