井上洋治師の霊性的な思索について――その思想と著作の意義


阿部仲麻呂(日本カトリック神学院教授、学校法人サレジオ学院常務理事、サレジオ会司祭)

 

余白の旅――霊性的な思索

井上洋治師(1927-2014年)が帰天されてから10年経った2024年3月8日に心から語りかけながら、ささやかなる駄文を執筆しています。

まず、井上師の文章で一番気に入っているものを引用しておきましょう。――「人を愛するということが人を大切にすることであり、弱さや醜さやその人なりの考えをもそのままに受け入れることであるならば、たとえ具体的にはつかめていないとしても、とにかく余白をふくめた全体の中でのあるべき自分の役割、また相手の役割というものが受け入れられる人、いいかえれば余白というものが見えてきた人だけが、真の意味で人を愛することができるのではないだろうか」(『井上洋治著作選集2 余白の旅――思索のあと』日本キリスト教団出版局、2015年、198頁)。「余白」としての「神の愛の場」というか「空気感」あるいは「聖霊のいぶきの磁場」において生きる求道者の与え尽くす真剣さを井上師が目指している仕儀はキリストの弟子としての矜持そのものに見えるのです。

のっけから私事で恐縮ですが、筆者は1982年、中学二年のときに本籍地の澁谷の教会で洗礼を受けました。その後、1983年に他の家族も洗礼を受けました。その際、哲学者の中村友太郎先生は代父として、筆者の父に対して井上洋治師の『余白の旅――思索のあと』(日本基督教団出版局、1980年)を受洗祝いとして贈呈したのです。

中学三年になった筆者はサレジオ会のジュニア志願院(小神学校)に入り司祭職への道を歩み始めました。春休みだけ帰省がゆるされ、父の書棚の『余白の旅』を勝手に読みつづけました。衝撃を受けました。あまりにも難解で、専門的な哲学者の名前が羅列されており、めまいを感じました。しかし「何かとても大切なことが書いてある」という予感がして、必死に食らいついて行間に没入するようにして読み深めました。井上師が書いている内容が「いのちがけの遍歴を反映した漂白の旅そのもの」であることは、わかりました。

後に幾度となく読み返すに及んで、井上師の著作の書き方が霊性的な思索を言語化しようとして悪戦苦闘する、まるでアイガーの道なき絶壁に楔を打ち込んで少しずつ登攀するかのような苦悩の身悶えを如実に反映したものであることもわかりました。霊性的な思索とは、実存的な人間性のすべて(身体も頭脳も心も聖霊の働きも含めて一体化している「からだそのもの」)をいのちがけでつぎこんで考え抜く闘いの軌跡を指します。井上師は、きっと思索に思索を重ねた果てに「余白」のいぶきにさらされて前進する仕儀を僥倖として得たのでしょう。彼方から授けられる天来の惠みを拝受する幼な子の道が開かれました。

上智大学文学部哲学科で四年間かけて聖アウグスティヌスや聖トマスのラテン語テクストの正確な読み方を徹底的に訓練させられた筆者は、神学部に編入してからは四世紀のギリシア教父の神学なかんずくナジアンゾスの聖グレゴリオスの三位一体論を専門的に研究しています。1994年から今日に至るまで30年も「神学」を専攻しているわけですが、思索の手がかりは常に四世紀のギリシア教父の思考法であることは一貫しています。あとは藤原俊成や定家による「余情」の味わいや「せぬがよき」という世阿弥による能楽の極意の意味合いを考え抜いて生きることも重ねて研究しています。そのような「まっしろな空白」から「自己空無化」としてのケノーシス(フィリピ2・6-11の文脈における)を「自己捧与」という新造語を提案することで独自の感慨として解釈するに至りました。このような30年の歩み(1994-2024年)の根底には、まさに井上師の『余白の旅』から体得した感慨がたしかに響いています。つまり中学三年のときの密やかな読書が今日の筆者の思索の核を支えているわけです。井上師の場合は東洋のこころとラテン西欧的な思想の差異や違和感を頻繁に語りましたが、筆者の場合は両者をつつみこむような普遍性をもたらすいのちの原動力が聖霊のいぶきとして予感されてなりません。

カトリシズムの基礎としてのラテン教父の神学ではなく、あえてギリシア教父の神学の研究に向かった筆者の特殊な志向性には井上師の思索の苦闘から得た洞察が隠れた導きを与えています。もちろん各自の独立した人格の尊厳を明確化したラテン教父の神学も重要ですが、あらゆるものごとを活かす聖霊のいぶきの背景の余白を体感させるギリシア教父の神学の玄妙さも必要不可欠なのであり、両方向の相互補完性が相互交流を洗練させることこそが信仰共同体としての教会の普遍性を意味づけることも決して忘れてはならないはずです。ともかく、その後も井上師の著書群をすべて読み込み、心酔し、読書をつうじた連帯感をいだいて今日に至りましたが、直接出会う機会はついぞないままでした。

 

日本にて——キリストの福音とその文化内開花

ところで井上師が開拓した信仰理解は欧米の思考法とは異なる思索の仕方での説明の努力によって洗練されたものです。言わばキリストの福音とその文化内開花を目指す「土着性」に特色があります。神の至上のみことばとしてのキリスト御自身のいのちがけの呼びかけを日本という生活文化の土壌に受け容れることで花開かせる努力を積み重ねた先駆者が井上師です。

この日本においてキリストを理解して生きることを体当たりで表明して言語化した井上師の生活は、まさに道なき道を進むほどに先駆的で、開拓者としての逞しさと繊細な工夫とに裏打ちされていました。常に小さき者の哀しみを身をもって理解しようとする彼の責任感の強さと思いやり深さは圧倒的です。相手に注がれる神の悲愛のこまやかな配慮を、ひたすら大切に志して自分自身のありのままの姿を「みすぼらしい器」としてキリストの福音を湛えて相手に差し出す井上師の一期一会の茶道のような趣のもてなしの底抜けの明るさが、希望に満ちた聖霊の愉快さとしての「童心のあそびごころ」として独特なる「なごみ」をもたらすひとときが、曰く言い難い安心感を醸し出します。「もう安心してよいんだよ」(ヨハネ20・19-29の文脈における、通常は「あなたがたに平和があるように」と訳される復活のイエス・キリストによる「シャローム」の呼びかけ)と、裏切り者の弟子たちに親身になって声をかけることでゆるし尽くすときの、あの安心感が今日も実現します。

井上洋治著作選集2『余白の旅――思索のあと』(日本キリスト教団出版局、2015年)

既存の哲学思想を踏まえた上で超えてゆく冒険心が井上師の若々しい思索の原動力となっている点が少年的な初々しい魅力として終始輝きを放ち、青年たちを引き寄せて独自の創造のるつぼとしての「風の家」の創設につながったのでしょう。哲学と神学と文学と藝術と霊性とが一体化する心のふるさととしての磁場を引き継ぐ仲間たちが、いまも社会のあらゆる場(家庭と職場など)で真摯に活動していることそのものが、稀有な連帯の祈りと化して本来的な生活の仕儀を実現させるほどの変革の底流を創造しています。

しかも井上師はフランス留学のおりにベルクソンの「エラン・ヴィタール」(いのちの躍動、生命の飛躍)の思想からも多大なる影響を受けました。物事は決して固定化されておらず、常に流動的に前進しており、成熟と向上の可能性と希望を秘めているという(キリストの再臨が確かに実現するという明るい希望を常にいだいて、前のめりになって積極的に人生を切り開こうとした四世紀のニュッサの聖グレゴリオスによる「エペクタシス(鶴首待望かくしゅたいぼう[鶴が生きようとして前のめりになって積極的にエサをついばむようにして幸せな生を味わうこと])」の発想を彷彿とさせます)、いのちの秘義に気づいたベルクソンの本音は井上師の「求道者としての人生の旅」の活力のみずみずしい若さにおいても、たおやかに共鳴しているからです。まさに井上師は言語や文化活動の根底に根づいている「いのちの躍動の現実」を「なまみのからだそのもの」でつかみとる直截的な感性に恵まれています。

 

南無アッバ!——ひなたぼっこの祈り

最終的に井上師は「ひなたぼっこの祈り」(観想の極致)におのずとたどりついたのでしょう。その際に、やむにやまれぬほどに真摯な幼きイエスの聖テレーズへの憧れや、若き日のカルメル修道会での祈りの試行錯誤が彼の心の奥底を鍛え上げたことを否定することはできないはずです。様々な経緯を経てこそ、ほんものの祈りの奥深さが熟成したのだと言えましょう。遠藤周作が『沈黙』のなかで目指していた「陽だまりの匂い」とも重なる境地(スコセッシ監督が映画『沈黙』のなかで見事な映像表現で描写していました)としての井上師の「ひなたぼっこの祈り」の尊さを、『キリスト教がよくわかる本』(PHP研究所、1997年)を読むことで理解した筆者も激しく心をゆさぶられたことを懐かしく想い出します。なぜならば、1968年当時、港区の船員病院で、わずか1200グラムの未熟児として生まれて四ヶ月以上も集中治療室の保育器のなかで育ち、人生のいかなる荒波にも打ち勝って強く生きて学問を究めるべく定められ、先祖の阿倍仲麻呂(698-770年、奈良時代の遣唐留学生、大唐帝国の秘書監兼衛尉卿、鎮南都護・安南節度使)の名前を襲名することとなった筆者にとって、ようやく家族のもとに迎えられる際に父母は郊外に新居を構えて「サンルーム」(陽当たりのよい憩いの部屋)を設えてくれたことを感謝の念とともに体感しているからです。過去に、幼い筆者もおのずと「ひなたぼっこの祈り」を捧げていたのだろうと、いまにして思い至ります。あたたかい陽射しにつつまれて、活かされていることのよろこびのまっただなかで、ただひたすら無心になって、そこにたたずむだけ、というしあわせな感触こそが「祈りの極致」(観想)なのでしょう。

そして、最晩年の井上師は「南無アッバ」という叫びの祈りを唱えることで自我意識から解放されて「無心の余白」の内奥におのずと分け入り「祈りそのものの現成」として、現世の人生を過ぎ越して慈愛深い神の懐へと進みつづけているのだと、いまの時点では述べておきましょう。神の懐において安らかに憩う井上師と直接まみえる日に、ほんとうのところを聴きながら学びを深めることにいたします。

感謝のうちに、栄光は御父と御子と御霊(聖霊)に、初めにありしごとく、いまもいつも代々に至るまで、アーメン。

 


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