私とクリスマス


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この原稿を書くにあたり、「自分の人生においてクリスマスの思い出にこれといったものはない」と最初に思った。しかし、よくよく振り返ってみると意外とあったなあと感じた。

自分の中でターニングポイントとなったのは、受洗した2018年12月16日である。それまではクリスマスに何か特別なことをするということはなかったが、まず思い出したのが2015年のクリスマスだった。

2015年12月24日の夜、大手人材会社の最終面接があった。当時は、東京に住んでおらず、その日の朝に飛行機で東京に向かった。緊張しながら臨んだ面接は厳しく、泣きそうになりながら終わり、呆然として電車には乗らないでホテルまで歩いて帰った。次の日の夕方、転職エージェントを通じて不採用通知を受け取り、飛行機に乗った。

2年後の2017年のクリスマスは、人生で初めて教会でクリスマスを過ごした。カトリック教会に通うようになったのは2017年の9月からだ。元々、宗教アレルギーがあったのだが、どこか気になっていた。色々と縁があり、イグナチオ教会の入門講座に通い始め、数ヶ月もしないうちに入門式に与り、クリスマスを迎えた。翌年、入門式から丁度1年後の2018年12月16日に英隆一朗神父(イエズス会)の入門講座の洗礼式で、クリスマスの典礼で受洗した。その年のクリスマスは初めて上智大学でのミサに与った。

2019年は、クリスマスのミサに与らなかったが、12月26日から翌年の1月3日までタイのチェンマイで開かれたイエズス会の青年向けプログラムであるMagis(マジス)のアジアの集まりMagis JCAP(Jesuit Conference of Asia Pacific)2019に参加した。ここでイエズス会のつながりの広さを感じ、同世代で同じ信仰を持つ海外の仲間に出会えたのは大きな恵みだった。

そして、2020年12月24日のクリスマスのミサ。四旬節からコロナ禍で公開ミサが制限され、ミサに与れる有り難みをこの時ほど感じるものはなかった。与ったイグナチオ教会での19時のミサは全国ネットのテレビ取材を受けており、全体の様子が撮影された映像の中に1秒にも満たないが自分が映っていたのには驚いた。

2021年はイグナチオ教会、2022年は上智大学でのクリスマスのミサに与った。2年連続で同じ日に受洗した人とミサ後に神田で呑みに行くというオチつきである。

自分の中で受洗というものは、大きな転換点であったと改めて思う。ミサに与るということは、信徒としては日常の一つである。しかし、待降節から主の降誕を祝うという一連の流れの中で最高潮となるクリスマスのミサは、何か特別なことをしていなくてもそれに与る中で色々なことを体験できるものだと身をもって感じている。そう考えると、クリスマスも何気ない日常の中の一つのままではあるが、キリスト者となったことで大切なものに確実になってきていると今回の記事を書きながら思った。

さて、今年はどこでクリスマスのミサに与るのやら。

良い待降節、クリスマスを!

 


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