佐藤真理子
婦人たちは朝早く墓へ行きましたが、遺体を見つけずに戻ってきました。そして、天使たちが現れ、『イエスは生きておられる』と告げたと言うのです。
(ルカによる福音書24章22~23節)
幼いころから私はキリスト教の告別式の雰囲気に特別なものを感じていました。それはキリスト教の告別式が他の宗教のお葬式に比べとても明るい雰囲気であるということです。復活のキリストが初穂となって、キリストを信じる者達は復活して必ず再会できるという確信から来る明るさがあるのです。説教では生前の姿が語られ、美しい讃美歌が響くキリスト教の告別式には温かみが感じられ、何かとても特別なものであるのをいつも感じます。キリストは人の死すらも希望に変えるのです。
十字架の死から復活し、今なお私たちのすぐそばで生きているキリストはこの世の希望と光の源なのです。復活はキリストを信じることの根幹です。キリスト者となることは単なる一つの価値観を受け入れることではなく、今生きているキリストとの関わりだからです。キリスト者となることは一瞬一瞬キリストと手をつないで生きることに他ならないのです。そして、それこそが本当の礼拝なのです。聖書が語る礼拝は、物理的なもの以上の、私たちの生き方そのものを指します。ローマ人への手紙12章1節はこのことをはっきりと示しています。
ですから、兄弟たち、私は神のあわれみによって、あなたがたに勧めます。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。
自分自身を神様のものとして生きる、これが神様の求める礼拝です。
勿論毎週の礼拝を守ることは尊いことなのですが、誤解を恐れずに言うならば、神様にとって重要なのは私たちが毎週の教会の礼拝に出席するか否かではなく、その人が神様と共に生きているかどうかなのです。
今生きているイエス様と共に歩んでいるかどうか、これだけが、キリスト者にとって重要なことなのです。そのようにして生きることが本当の礼拝だからです。
私たちはキリストの身体です。私たちの手足をキリストの手足として用い、私たちの眼差しをキリストの眼差しとし、私たちの舌をキリストの言葉のために用いるとき、私たちに出会う人は、私たちのうちに神を見ます。そのような生き方が、神への最高の礼拝です。
今、世の中では大変いろいろなことが起きています。私自身、何を選ぶことが最善なのか考え込んでしまうことがあります。しかし、そのたびに、すべて主に任せればよいことを思い出すと重荷が取れて心が本当に軽くなります。
創世記のヨセフの物語にもあるように人の悪事をもよいことのための計らいとしてしまうのが神様です。キリストの死と復活は悲しいこと、悪いことを良いことに変えてしまう出来事の最たるものだと思います。
私は聖書の中でも特にこの復活の場面が大好きです。主の復活に最初に立ち会ったのは女性たちでした。女性たちは天使から「イエスは生きている」と伝えられ、それを喜んでほかの人に伝えていきます。初めはたった数人の女性たちから、このグッドニュースは時代を超えて今私たちにまで伝えられています。
エマオの道行きの場面は有名な絵にもなっているとおり、特に印象的です。イエスと共に歩いていた二人は、目が遮られておりはじめはイエスの存在に気づかなかったということはとても示唆に富んでいると思います。生きている神様がすぐそばにいることを忘れ、神様の働きが目の前で起こっても背後に主を認めることなく偶然で片づけようとするのが、人の性質だからです。イエス様に出会った二人はイエスの存在に気づいたとき、道でイエス様の話を聞いていた時に「私たちの心は燃えていた」と語ります。生きているイエスに出会うと、人の心は燃えるのです。それは今も変わらず起こることです。
イエスはその後弟子たちと再会します。イエスが死んだと思っていた弟子たちにとって、大好きなイエスと実際に再会できたことはなんという大きな喜びをもたらす出来事だったのだろうとおもいます。復活とはその当初から溢れるばかりの喜びを伴う出来事だったのです。
また、復活したイエスは聖書についての解き明かしを熱心にします。聖書は、復活し今生きているイエスに導かれて読むことで理解できるものなのです。イエス様に聖書の理解を助けてもらうことは、注解書を千冊読むことにも勝ります。
キリストは今、生きています。聖書の復活の出来事は、2000年以上たった現在にも連続して変わらず起こっていることなのです。今目の前にいるイエス様と共にいきていきましょう。一人で思い悩むことなく、すべてをキリストに委ね、キリストと片時も離れず生きていきましょう。キリストはあなたの幸せを望んでいます。キリストが与えてくれる喜びとともに、今日も歩んでいきましょう。
主のご復活おめでとうございます!
佐藤真理子(さとう・まりこ)
東洋福音教団所属。
上智大学神学部卒、上智大学大学院神学研究科修了、東京基督教大学大学院神学研究科修了。
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