大井靖子
6月29日、聖ペトロ・聖パウロ使徒の祝日の夜、モスクワ中心部にあるカトリック聖母マリア無原罪御宿り大聖堂では、ウクライナ平和問題特使としてバチカンから派遣されたマッテオ・ズッピ枢機卿司式によるミサ聖祭がささげられた。
夜の7時とはいえ、この季節、北国のモスクワでは日没時間が遅く、ようやく太陽が西に傾き始めたころである。ズッピ枢機卿はその日、トレチャコフ美術館併設トルマチの聖ニコライ聖堂で神の母ウラジーミルのイコンの前で祈りをささげた後、ロシア正教ダニーロフ修道院でモスクワおよび全ロシア総主教キリルとの会談に臨まれるという密度の高いスケジュールをこなされている。
聖母マリア無原罪御宿り大聖堂のミサには、パウロ・ペッツィ大司教ら大勢のロシアのカトリック聖職者たちとともに、アンティオキア正教会やアルメニア・カトリック共同体の司祭も参加され、エキュメニカルな雰囲気をただよわせていた。
こうしたミサの様子を伝えるビデオを見ていて、わたしが思わずパソコンの画面に顔を近づけたのは、聖体祭儀が始まると同時に聞き覚えのある歌が流れてきたときである。それは間違いなく、テゼのUbi caritas et amor(慈しみと愛のあるところ、神ともに)であり、プーチン政権によるウクライナへの軍事侵攻開始以来、よく眠れず、気が晴れることがあまりなかった、わたしの心に安らぎが訪れた。
大勢の会衆を前に、かなり長い間つづいた聖体拝領が終わると、荘重なパイプオルガンのメロディーにのせて聖歌隊が歌いだしたのは、これもテゼの歌、Laudateomnes gentes(すべての人よ、主をたたえよ)だった。
1938年、宗教を認めない共産党政権のもとで、多くの教会や聖堂と同じように、この聖堂も閉鎖され、住宅や研究所や倉庫などに転用され、主任司祭は銃殺されるという悲劇に見舞われている。そしてソ連邦が崩壊した1991年、あらたによみがえった広い大聖堂にLaudate omnes gentes が、今、厳かに静かにしみわたっていく。黒緑色の大理石の祭壇に浮き出た金色のギリシャ文字ΑとΩは、ロシアの教会が負った十字架と、主の教会が永遠であることを伝えているようだ。
19世紀半ば、ロシアに生まれ、20代半ばから生涯を聖山アトスで過ごした修道者シルワンは、「権力者が神の愛を真に知るならば、戦争は無くなるだろう。」と手記に書き残している。
散歩をしながら、家事をしながら、わたしは「すべての人よ、主をたたえよ」を歌っている。シルワンの言葉に平和への願いを託して歌っている。
【出典】
- ミサに関する資料:Сибирская католическая газета(シベリアカトリック新聞)
- ビデオ:Римско-католическая Архиепархия Божией Матери в Москве(モスクワ神の母ローマカトリック大司教区)
- 『シルワンの手記』古谷功監修、エドワード・ブジョストフスキ訳、あかし書房、1982年