『アレッサンドロ・ヴァリニャーノ: 日本に活字印刷を南蛮船でもたらした宣教師』


『アレッサンドロ・ヴァリニャーノ: 日本に活字印刷を南蛮船でもたらした宣教師』
青山敦夫著、印刷学会出版部、2022年。定価:2750円、 258ページ

 

聖フランシスコ・ザビエルが日本にキリスト教を伝えてから30年後の1579年、アレッサンドロ・ヴァリニャーノというイエズス会士が日本に上陸しました。

イタリアはキエーティの名家出身のヴァリニャーノは、若いころから優秀な人文学者であり、父の友人であった教皇パウルス4世の下で働いていました。1566年にイエズス会に入った彼は、才能を評価されて東インド巡察師に任じられます。1574年にポルトガルを離れたヴァリニャーノは、以降、アジアでの宣教に生涯を捧げることになります。

当時はポルトガル領であったインドやマレーシア、マカオを経由して訪日したヴァリニャーノは、ヨーロッパ人がアジア人を頭ごなしに教化する布教方法に疑問を覚え、現地の言葉による福音宣教が必要であると考えるようになります。そこで彼が考え付いたのが、日本語による出版事業でした。つまり、ヨーロッパのルネサンスや人文学の発展を後押しした活版印刷技術を、日本に輸入することでキリスト教を根付かせようとしたのです。

そのために彼はキリシタン大名の大友宗麟やヨーロッパ文化に関心のあった織田信長と謁見して支援を要請しました。こうして実現したのが、伊藤マンショ、千々和ミゲル、福者中浦ジュリアン、原マルチノによる天正遣欧使節団です。

ヴァリニャーノはインド管区長に任命されたため同行することができませんでしたが、天正遣欧使節は無事にヨーロッパに到着し、スペイン王フェリペ2世や教皇グレゴリウス13世などの要人に歓迎されました。年目以上に渡る旅を終えた天正遣欧使節は、1590年に帰国し、日本にグーテンベルク印刷機をもたらしました。これが日本における活字印刷の始まりでした。

ですが、天正遣欧使節団が帰国した日本の情勢は出国した時と大きく異なっていました。キリスト教に友好的であった織田信長が没し、伴天連追放令など反キリスト教の政策で知られる豊臣秀吉が実権を握っていたのです。ヴァリニャーノもインド副王の名代として訪日し、「キリシタン版」と呼ばれる多くの印刷物が出版されましたが、キリスト教弾圧の時代に印刷資材も本も破壊されてしまいました。1606年にはヴァリニャーノが没し、1611年頃には金属活字を用いた日本最初の印刷が根絶やしにされたと言われています。以降、約250年間、日本では金属活字による印刷業は断絶することになります。

ヴァリニャーノは日本にグーテンベルクの活版印刷をもたらした、文化史上の偉人です。しかし、キリスト教禁教の時代にその技術は失われ、彼の存在も日本史では軽視されてきました。そんなヴァリニャーノをもっと知ってもらおうという熱意をもって書かれた歴史小説が『アレッサンドロ・ヴァリニャーノ: 日本に活字印刷を南蛮船でもたらした宣教師』です。キリスト教の宣教師というよりも日本出版史の観点からヴァリニャーノの生涯を想像を交えながら書いた本書は、小学生でも知っているフランシスコ・ザビエルほど有名ではないですが、同じくらい重要な人物のことを分り易く伝えてくれます。

石川雄一(教会史家)

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