11月、キリスト教では死者の月という特色があります。11月1日が「諸聖人の日」として、すべての聖人が記念され、11月2日が「死者の日」として、すべての死者が記念されるという日であることがきっかけで、またカトリック教会では、墓参の月ともされています。
これらの日々、この月の由来については、中世の歴史の事情が背景にありますが、そのことよりも、一般の方にとっても、日本社会のお盆やお彼岸に似た慣習がキリスト教にもあるのだな、と感じて、興味深く、親しみ深く感じられる方も多いのではないでしょうか。
実際、死者を祀る、つまり死者を思い起こして、敬い、その墓に花や品を供えるという行為はキリスト教にもあります。その心においては共通するものがいっぱい見いだされます。
ただ、キリスト教の場合は、いつも死者に対する諸慣習の根底に、イエス・キリストの死と復活があるというのが特徴です。キリスト教だから当然!? ですので、イエス・キリストがちょっとハードル高く感じられるとき、キリスト教の葬儀や死者のための祈りをご覧になってください。キリスト教とはこういう信仰なのかと、新たな気づきが生まれるかもしれません。
今回は、身近な人の死について、イエスの死の姿との出会いについての体験談、また、葬送の歌として親しまれている聖歌や音楽についての紹介記事をともにしつつ、キリスト教の葬儀と死者のための祈りを見つめ紹介しています。このテーマは、さまざまな事象とも関連していますので、今後とも広げていきたいと考えています。みなさまのそれぞれの体験の記憶を呼び起こすものとなり、思索が広がるきっかけになれたたら幸いです。
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