特集71 今、あらためて、戦争を考える


知識も意識も一新させなくては……

戦争というものを、無意識のうちに過去の中に閉じ込めようとしていた心の傾きが打ち砕かれた、今春でした。冬季オリンピックの終幕を待っていたかのように始まったロシアのウクライナへの軍事侵攻。大きな国の対岸の出来事に、地上の平和を願望のうちに信じていた思いが引き裂かれています。ウクライナ、ロシア両軍の兵士たちの戦死、そしてウクライナの、子どもを含む市民たちの、破壊や虐殺による犠牲が現実になっている事実を聞きつつ……。

この事実が報じられて以来、悪夢にうなされ、心身の調子が崩れていく人もいます。ウクライナとロシアの関係に似たことが、アジアにも起こりうることへの恐れも忍び寄ってきます。それとともに、数々の軍事侵攻、侵略、そして明示的な戦争が起こり続けた日本の近現代史が、過去という「陰府(よみ)」から抜け出し、「今」のこととしてよみがえってきていることを実感します。戦争は過去のこと、今は平和、という願望的幻想が打ち砕かれ、地上の平和は結局“束の間の休戦状態”に過ぎないのだという思いの中に沈められます。

このような今年の情勢の中で、日本のわたしたちは、戦後77年という年を過ごしています。アジア太平洋戦争の終結が、明治維新から154年という経緯のど真ん中の分水嶺であった事実に照らして、この国の近現代史をより深く見つめていくよう促されています。戦後生まれの第一世代が後期高齢者になっている今、あるいは1955年(昭和30年)の戦後体制下の最初の世代も、立派に前期高齢者となったり還暦を迎えたりする今です。これらの世代は、まだ、親や親の兄弟がなんらかのかたちで戦争を経験していました。その実体験を語ってくれる姿にも、反対に、口を閉ざしてしまう姿にも接してきました。身近な人が感じた戦争の現実の断片を、それぞれのきっかけにして、戦後第一世代は歴史を学び、日本の近現代と向かい合い、現在の国家・社会と対峙しています。

この世代にとって、今年は大きなチャレンジとなっています。今まで得てきた知識を根底から覆して学び直し、考え直し、そして、続く世代に伝えていくという課題、「戦争を知らない世代」でありつつ戦争のことを語り継いでいくという課題です。同時に、日本をめぐる歴史世界だけでなく、今回のウクライナとロシアのことは、西欧ではないヨーロッパ、そしてユーラシアという歴史世界への関心をしっかり持たなくてはならないことも教えてくれています。そこにキリスト教がどうかかわってきたかも含めて、わたしたちは世界の歴史に対する知識と意識を一新させていかなくてはなりません。しかも、この課題を、続く世代の人々、若い世代の意識・感性と交わりながら深めていくことが大切……そのための場として、このAMORが役立てられるようになっていきたいと思っています。

平和は神の国の事柄なのだ、と諭される、今年の情勢。「主よ、あなたの平和をわたしたちに」――祈りの中の平和が新たな現実味を帯びてきている、この時にあって……。

東京・千鳥ヶ淵の戦没者墓苑にて

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金はなくても花が咲く 生きてるうちが花なのよ

戦後77年――今、私たちに問われること

戦争の記憶を語り継ぐということ――ナチス・ドイツを描いた映画

 支配者の罪は永劫に続く

 


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