酒井瞳(日本福音ルーテル教会信徒)
hi-b.a.という団体をご存知でしょうか。hi-b.a.とは「high school born againers」の略で、高校生のためのキリスト教の伝道団体です。「高校生による高校生伝道」を重視しており、中学生も対象とされています。日本にもかなりの都道府県にその施設が存在し、普段は集会を、長期休みにはキャンプなどの合宿を行っています。hi-b.a.の基本理念は、以下のとおりです。
Ⅰ.神に信頼する
神に信頼することが hi-b.a.に与えられた神の祝福である。
それ故 hi-b.a.は神に信頼することを最も価値あるものとし、それを行なうことを責務とする。
神への信頼を育むこともそれと同様である。
hi-b.a.のすべての意思決定は神に依り頼むことから生まれ、神への愛の証である。
hi-b.a.が神に信頼することは、祈りによって生み出され、御言葉に聞き従うことで実現する。
(箴言3:5-6)
Ⅱ.人を重んじる
hi-b.a.は、スタッフとその家族、OBや支援者、そして高校生を重んじる。
hi-b.a.は、すべての人がキリストに似た者とされることを喜び、そのために執り成し、
励まし、助け、戒め、赦すことをもって仕える。(マタイ 7:12)
Ⅲ.高校生伝道を使命とする
「高校生による高校生伝道」をモットーとするhi-b.a.は、高校生及びその世代を愛し、仕え、 彼らを直接の伝道対象とする。
彼らにイエス・キリストにある救いを伝えることと、
イエス・キリストの証人となるための訓練を与えることを高校生伝道と理解し、
それらによって世界宣教の推進と神の国の前進に寄与する。 (詩篇 71:17-18)
IV. 教会に仕える
hi-b.a.は福音主義的聖書信仰に立った超教派伝道団体である。
教会になろうとしたり、教会を造り出そうとはしない。
hi-b.a.は営利を目的とした団体ではなく、教会からの祈りと支援に活動の基盤を置く。
また、教会に仕え教会と協力する。(エペソ 4:16)
(hi-b.a.公式ホームページ「基本理念・コアバリュー・信仰表明」より)
そんなhi-b.a.が主催するオンラインイベント「夏に本気で伝道について考えてみたらどうなるか〜全国高校生サミット〜」が8月13〜14日に開かれました。私は高校生ではありませんが、高校生伝道に興味があり、なぜあえて「高校生伝道」と限定しているのか、そして、具体的にどのような取り組みがされているのかを知りたかったので、参加してみることにしました。
そこではまず、現代日本では、少子高齢化が深刻な問題となっているという話から始まりました。その影響は教会にも及んでおり、年配者が嘆いている光景をよく目にしますが、なかなか具体的な解決策がみつからないのが現状です。
また、教会の中で年配者と衝突が生まれることもあります。「若者がやりたいことをやるべきだ」という大人もいますが、あまりにも人数が増えたり、トラブルが起きたりすると、「うちの教会のイメージと違う」「やめてほしい」などの横やりが入って、解散してしまう青年会もあるようです。このように、そこに長くいる信徒の意見と若者の意見が合わないことも問題になっています。
さらに、最近の高校生には「ありのままの自分でいられない」「本当の自分が出せない」という悩みが多いそうです。場所ごとにキャラクターを使い分け、その場その場で要求を満たさなければいけないという重荷があるといいます。またSNSの発達によって、顔の見えない相手とのコミュニケーションが主流になったことも一つの原因かもしれません。評価されることに常に怯えて、家や学校、塾などでなかなか人間関係を構築できない人も多くいるそうです。このアイデンティティクライシスと「自分探し」のような現象は、今も昔も変わらないのでしょう。
そのような中で、hi-b.a.は「福音的な居場所をつくる」「信仰の成長」という活動を行っています。具体的には、平日の放課後を中心に定期集会を開き、各教会に若者が少ないのであれば、同世代が集まれる一つの場所を作ろうというのです。自分の教会に中高生が少ないので、居づらくなって教会に行かなくなるという悪循環を防ぐためです。(ただし、現在は新型コロナウィルスの影響で、インターネットを用いたオンラインでの活動を中心に行っています)
カトリック教会にも真生会館の中にWAKAGEという学生の集まりがあります。このような施設やそこで行われる集会・合宿、友人との交流の中に、神を見出すという貴重な経験があります。また、自分の教会を司牧している牧師・神父だけではなく、ほかの牧師・神父との出会いもあります。
このように青年が活動する団体や場所は「パラチャーチ」と呼ばれ、地域にある教会を側で支えるという役目があります。普段の教会生活の中でなかなかモチベーションが上がらない、教会に全く行かないという事態を回避するためにも、パラチャーチが「励ます」「遣わす」という役目を担っているのです。ここに若者同士のいい意味での感染力があると思います。
サミットに参加してみて、高校生伝道は本当にすごいと改めて思いました。自分で知り合いを教会や集会に誘って断られると、それがどんな理由であれ、「拒絶」されたと感じてしまい、どうしても信仰面へのダメージを受けてしまいます。自分が言葉足らずだったのかなど、かなり自信を失ってしまいそうになります。確かに、伝道には、言葉だけではなく、生活や態度で示すことができるのかもしれません。でも、私は、その熱意だけで十分にも思います。それだけ、自分にとって意味がある、神の愛に触れてほしいという、パッションを感じます。周りの大人たちも、そうやって努力すること、悩んでいる姿をみながら、その成長を手助けしながら、喜びをもって育む姿が、想像されます。
それぞれが、自分の信仰を、自分の言葉で語ること。それぞれが、神に向かって生きていく情熱を燃やすこと。そこには、高校生で年齢が若いとか、信仰歴が短いとか、知識の有無に関係なく、神の力が働きます。そしてその力は、いつかその人が大人になって本当の危機に出会ったときに、「絶対だいじょうぶ」「一緒に乗り越えよう」と、周りの仲間を信じ、神を信じて行動する将来へと繋がるのでしょう。そしてそれは、たとえ社会の中でキリスト教とは無縁そうな仕事をしていても、私達に生きるチカラを与えてくれるのでしょう。
hi-b.a.の活動では、自己肯定感や健全な自己理解も大切にされています。私が18歳でキリスト教に出会ったときも、この世界に「無条件の愛」という謎の存在があることを知り、衝撃的な体験をしたことを思い出します。ありのままでも、受容されるということ。イエス・キリストはただ願いを叶えるだけの神ではなく、「神が人間を、一人ひとり愛する」という人格をもった神です。そして、私もあなたも「無条件の愛」を与えられた神の被造物です。互いを大切にするということ、助け合うこと。互いが成長する中で衝突や傷つけ合うこともあるかもしれませんが、それでも関係を修復して和解したいという気持ちは、本当に神が与えてくれた賜物なのでしょう。