ペトルス・クリストゥス『キリストの降誕』
稲川保明(カトリック東京教区司祭)
この絵の作者ペトルス・クリストゥス(Petrus Christus, 生没年1410/15~1473)はブルッヘで活躍した初期フランドル派の画家です。ヤン・ファン・エイク(Jan van Eyck, 1390頃~1441、アート&バイブル26参照)の弟子あるいは後継者とみなされています。1441年にファン・エイクが死去したため、彼がそのアトリエを引き継ぎます。
ペトルス・クリストゥスは長らく師であるファン・エイクの偉大さの中でのみ評価されてきましたが、近年の調査では、ディルク・ボウツ(Dirk Bouts, 1415頃~1475)、ロベルト・カンピン(Robert Campin, 1380以前~1444)、ロヒール・ファン・デル・ウェイデン(Rogier van der Weyden, 1399/1400~1464)たちからも影響を受けていることが判明し、ファン・エイクとは一線を画す画家であることが明らかになりました(生没年は『新潮 世界美術辞典』による)。『キリストの降誕』(画像1)は彼の代表作の一つです。ネーデルランドの画家らしい細密で巧緻な表現に興味を惹かれます。
【鑑賞のポイント】
1.まずこの絵を縁どるロマネスク風のアーチに目が奪われます。そこには細緻な彫刻が施されています。
(1)左右に赤い柱がありますが、その柱の台座には「原罪の重み」を背負って苦悩している人類を象徴している姿があります。
(2)その2本の赤い柱の柱頭にはアダムとイブの姿が向かい合っています。そのアダムとイブの頭上からアーチがつながっており、楽園からの追放やカインとアベルの兄弟殺しなど6つの場面が描かれています。このアーチの装飾がなければ、単純にキリストの降誕の場面を描いた作品となりますが、これらの人類の罪をあがなうためにキリストが「新しいアダム」として誕生したこと、そして人類の罪をあがなうために十字架上で自らを犠牲として捧げ、新しい契約を打ち立てたことが暗示されるのです。
2.馬小屋の内部にいるのは聖母子と聖ヨセフです。ヨセフの足下にはサンダルが脱ぎ捨てられています。出エジプト記3章において、モーセが燃える柴のところで神に出会ったとき、「ここは聖なる地である。はきものを脱ぎなさい」と言われたエピソードを思い起こさせます。4人の羊飼いたちは壁の外側から覗き込んでいる姿、何かを話し合っている姿で描かれており、4福音書を暗示しているのかもしれません。
3.聖母子の周りに4位の天使が小さな姿で描かれています。一番手前にいる天使はネーデルランドの画家たちが天使を描くときによく用いている表現として、金襴で装飾された荘厳な祭服(プルヴィアーレ)を着用しています。カンピンたちが描く「受胎告知」(画像2の中央)でも、大天使ガブリエルがこのような荘厳な外衣を身につけています。
4.背景には青くそして白い空が広がっており、そこには空を飛ぶ鳥たちの姿が描かれています。その下にはゆるやかな起伏のある景観の中に町が描かれており、これはエルサレムの姿ではないかと思います。ベトレヘムはエルサレムの郊外にある町ですし、33年後に幼子イエスはエルサレムでの受難・十字架をへて復活の栄光に入るのです。