アート&バイブル 26:「神秘の小羊の礼拝」祭壇画


フーベルト&ヤン・ファン・エイク兄弟「神秘の小羊の礼拝」祭壇画

稲川保明(カトリック東京教区司祭)

前回の「天使の羽根」のお話の中で合唱の天使の部分で少し触れた『ゲントの祭壇画』を今回はとりあげます。これは、初期フランドル派の巨匠ヤン・ファン・エイクの作品です。その代表作であり、かつ北方ルネッサンスがイタリア・ルネッサンスにも大きな影響を与えていることがこの作品からもわかります。

ゲント(またはヘント)の祭壇画は、兄フーベルト(生年不詳)が1423年頃、製作を始めましたが、1426年9月18日に帰天したため、弟であるヤン・ファン・エイク(生没年1390頃~1441)がそれを引き継ぎ、1432年5月6日に完成させました。ヤンは、15世紀にフランドル(英語でフランダース)公国を統治していたフィリップ善良公(=ル・ボン。在位1419~67)の宮廷画家兼侍従であり、ネーデルランド絵画はヤン・ファン・エイクから始まったともいわれるほどです。彼の緻密な写実はボス、そしてブリューゲルへと受け継がれていきます。

また、ヤン・ファン・エイクは現在でも西洋絵画の主流となる油彩画技法や油絵具の創始者といわれているほど、画期的な技術革新を果たしました。それまでの顔料・絵具の定着方法はフレスコ画法やテンペラ画法(卵の黄身に絵具を混入し、卵のタンパク質を用いて定着させる方法)でしたが、ヤンたちはこれに対して油を用いて顔料を定着させることにより、画期的な色彩や細密な表現を可能にしました。実はこれらの技法は1400年代のパリにおける細密写本画の技術が下地となっています。「フランドルのアペンス」ことヤン・ファン・エイクの栄光に満ちた評価は、アルプスを越えたイタリアで人文主義者たちによって形作られたといいわれていますが、およそ1世紀の後、フィレンツェのジョルジョ・バザーリは『美術家列伝』の中で、「油彩の最初の発見者はフランドルのブリュージュ(ブルッヘ)のヤンであった」と記しているほどです。

フーベルト&ヤン・ファン・エイク兄弟「神秘の小羊の礼拝」祭壇画(1423年~32年、油彩パネル画、ゲント、シント・バーフ聖堂)パネル閉翼時(クリックで拡大します)

「ゲントの祭壇画」と呼ばれる「神秘の小羊の礼拝」の祭壇画は、大小20ものパネル画を組み合わせて作られており、また祭壇でミサが捧げられるときは、このパネルは閉じられました。その閉じられた時も宗教的に意義のある絵が描かれているのです。

 

【鑑賞のポイント:祭壇画パネル閉翼時】

(1)閉翼時の上段には左に預言者ゼカリヤ(メシアがロバに乗ってくることを預言した)とエトレリアの巫女、右側に預言者ミカ(メシアがベトレヘムで生まれることを預言した)とタマエの巫女が描かれています。ミケランジェロのシスティーナ礼拝堂の天井画にもこれらの巫女の姿が描かれていますが、異邦人にも救いがのべ伝えられることの象徴です。

(2)中段には神のお告げを伝える大天使ガブリエル(その頭上には父なる神が「行け」と指図している姿)と、向かい合うパネルには聖母マリアの姿が描かれており、天使のことば(アヴェ・マリア、恵みに満ちた方)とマリアのことば(み旨のとおりになりますように)が金の文字で記されています。

(3)下段には中央左側に洗礼者ヨハネ(イエスを神の小羊と呼んだ)、右側には福音記者ヨハネ(洗礼者ヨハネのことばを福音書に記した)が彫像のように白く描かれ、その外側にはこのパネルの寄進者であるヨース・フェイトとその妻エリザベト・ボルリュートが描かれています。1435年の記録によると、この祭壇画は、フェイト夫妻とその先祖の魂の救済のために毎日のミサの中でメメント(心に留めてくださいの祈り)が唱えられるように(永代供養のような意味合い)という目的のために製作されました。

 

【鑑賞のポイント:祭壇画パネル開翼時】

(1)まず上部を見ると、中央の矩形パネルの部分の中心には荘厳、かつ絢爛たる衣装と教皇の三重冠を被ったキリストの姿が描かれています。これは大変珍しい意匠であると思います。キリストの足下には王冠が置かれており、王であるキリストのことが思い起されます。しかし、中央に鎮座する荘厳なキリストは教皇の三重冠を被っており、また祝福を与えようと右手を上げています。左側(キリストの右側)には戴冠した聖母マリアが聖書を読みふけっている姿で描かれ、反対側には洗礼者ヨハネが説教する姿で指を差し出しており、その膝には開かれた聖書が載っています。聖書のことばを祈りながら理解し、そしてそれを伝えることの大切さを聖母マリアと洗礼者ヨハネは示しています。

「神秘の小羊の礼拝」祭壇画:パネル開翼時(クリックで拡大します)

(2)このキリスト・聖母・ヨハネの外側には天使たちのコーラス(天上のコーラス=絶えざる神への賛美)が描かれています。左側には歌う天使たち、右側にはオルガンやハープ、リュートを演奏する天使たちが描かれています。そして、上部パネルの最外側にはアダムとエバの姿が描かれています。キリストは新しいアダムであり、聖母は新しいエバとして、ともに人類を原罪、その結果がもたらした死から救うために御父の救いの業に協力するのです。

(3)下段の中央パネルが最も有名であり、かつこの祭壇画の名前にもなった主題が描かれています。中央パネルの上部には祭壇があり、その上に胸から血を流す小羊が描かれています。これこそ洗礼者ヨハネが預言した「見よ、世の罪を除く神の小羊を」というテーマです。この祭壇画の下には祭壇があり、そこで毎日、パン(キリストの体)とぶどう酒(キリストの血)が聖別され、信仰者に分かち与えられるのです。小羊の血は聖杯に注がれ、天使たちはキリストの受難を暗示する十字架、柱(鞭打ち)、槍、海綿をつけたヒソプの枝、釘などを提示しています。祭壇の正面には二位の天使が香炉を振って献香しています。

パネル開翼時部分:下部中央の拡大(クリックで拡大します)

(4)花咲き乱れる新しいエデン、天のエルサレム、天上の草原に多くの人々が描かれています。左側には三重冠を被った教皇たちや赤い帽子を被った枢機卿たち、右側には殉教者の持ち物である棕櫚(しゅろ)の葉をもった聖人たちが描かれています。

(5)中央パネルの下部には噴水のようなものが中心に描かれています。これは洗礼を暗示しており、原罪を洗い清め、神の子として道であるイエスを通って、御父のもとに至るための最初の秘跡である洗礼の大切さを、キリストの聖体と同じ比重をもって表しているということになります。

(6)そして、洗礼の泉の左右にも多くの人々が描かれていますが、左側は旧約聖書に登場する族長たち(アブラハム・イサク・ヤコブたち)と預言者たちであり、さらにその外側にはキリストの兵士たちが描かれています。右側に洗礼の泉に近いところに無地の服を着て拝跪しているのは十二使徒たちであり、その外側に教皇・司教・司祭・修道者・信徒の姿が描かれています。

(7)そして、この中央パネルの最上部には小羊の祭壇から洗礼の泉までを照らすような光線が注がれており、聖霊を示す白い鳩の姿が描かれているのです。

 


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