ミサはなかなか面白い 54 「いま聖霊によってこの供えものを……」


「いま聖霊によってこの供えものを……」

答五郎 こんにちは。前回は、ようやくという感じで、第2奉献文に入り始めたね。そのほんの最初の、「父よ」にかかわる表現だけでもいろいろ見どころがあっただろう。

 

 

女の子_うきわ

美沙 はい。聞き流してしまうような句にも、神とはどういう方なのかについて考えさせるいろいろなことが含まれていました。

 

 

答五郎 きょうは、早速というか、ようやくというか、続きを見よう。「いま聖霊によってこの供えものをとうといものにしてください。わたしたちのために主イエス・キリストの御からだと御血になりますように」。何か気になることはあるかな。

 

252164

問次郎 「とうといものにしてください」は、前の「まことにとうとく」と同じようなことでしょうか。
「とうとい」というのはつまり「聖なる」ということだと……。

 

答五郎 そう理解していいね。ここの前半の祈りはラテン語の原文だと、さらに面白いので見ることにしよう。“Haec ergo dona, quaesumus, Spiritus tui rore sanctifica”となる。
「とうといものにしてください」と訳されている「サンクティフィカ」は、「聖なるものとしてください」「聖としてください」「聖化してください」とでも訳せる動詞だよ。

 

女の子_うきわ

美沙 「いま聖霊によって」という「いま」が重要だと感じていたのですが、それはありますか。

 

 

答五郎 実は「いま」を意味する直接の単語はここにはないのだよ。あるのは「エルゴ ergo」という接続詞でね。「それゆえに」「したがって」という意味だよ。

 

 

女の子_うきわ

美沙 なるほど、神はまことに聖なる方で、すべての聖性の源である方だから、それゆえに、この供えものを聖なるものにしてくださいという、関連が示されているのですね。

 

答五郎 ただ、日本語で「それゆえに」とか入れると、論述ではいいのだけれど、式文ではふさわしくないと思われたのかもしれないね。

 

 

女の子_うきわ

美沙 ところで、気になったのですが、原文に「霊」はあっても「聖霊」とは言われていませんね。

 

 

答五郎 たしかに「聖霊」でなく、「あなたの霊」となっている。結局は聖霊のことだから「聖霊によって」としていると思う。ところで、日本語に訳されていない単語(rore)があって、直訳すると、「あなたの霊のしずくによって聖なるものとしてください」と言われているのだよ。

 

女の子_うきわ

美沙 「しずく」ですか! 美しいですね。それに前の句の「聖性の源」が「聖性の泉」とも訳せる単語だったことを思い出します。

 

 

252164

問次郎 泉としずく。水つながりか!

 

 

答五郎 実はこの「しずく」にはもっとほかにも深い意味が隠されているのだけれど、それについては、このAMORの特集9「聖霊」の中に「聖霊のしずく」という記事があるので参照してほしい。ともかく「まことにとうとく」から始まり、「とうといものにしてください」まで、「聖なる」ということがテーマだということは確かめておこう。

 

252164

問次郎 つまりは聖体に関係するわけですね。次が「わたしたちのために主イエス・キリストの御からだと御血になりますように」ですから。

 

 

答五郎 そうだね。ちなみに、このように聖霊の働きを求める祈りを「エピクレーシス」という。ギリシア語で、上に向かって叫ぶ、祈るというところから来ている典礼学の用語だ。まあ、覚えなくていいのだけれど、奉献文の伝統的な要素の一つなのだよ。

 

女の子_うきわ

美沙 さきほど、原文には「いま」という単語はないといわれましたが、結局、聖性の源である神から
の霊が、いまここで働くように祈るという趣旨からすると、「いま」というのも、とても大事な意味合いを表現しているのではないでしょうか。

 

答五郎 ほう。日本語の式文を作った先輩たちが泣いて喜びそうだ。たしかに働きを願う以上、いま、ここでの働きだからね。これも、ちなみになのだけれど、ここは「聖別」のためにエピクレーシスともいう。「聖別」ってわかるかな。

 

 

252164

問次郎 いままさにいわれた「とうとういものにしてください」、つまり「聖なるものにしてください」「聖体にしてください」ということですよね。

 

 

答五郎 ズバリそうだよ。「聖別」 というと、日本語として硬いし、「別」って何とも言われそうだけれど、要するに「聖なるものとする」「神のものとする」という意味だと覚えておけばよい。ラテン語ではコンセクラチオだ。いろいろな文脈で使われる単語だけけど、奉献文の中では、たしかに「聖体にする」という意味で、パンとぶどう酒が聖体になるのには、聖霊の働きが必要だという考えが示されているところでもあるのだよ。

 

女の子_うきわ

美沙 第3奉献文も、比べて見ているのですが、ここですね。「あなたにささげるこの供えものを、聖霊によってとうといものとしてください。御子わたしたちの主イエス・キリストの御からだと御血になりますように。」

 

252164

問次郎 「御からだと御血になりますように」というところで、司祭が十字架のしるしをしていて、重々しく、大切なところなのだという気持ちが高められますね。

 

 

答五郎 そして、次にいわゆる聖体の制定と呼ばれる叙述に入っていくから、だんだんと重々しさが加わっていく。そういう祈りの情調の深まりを感じることも大事だね。次回はその制定の叙述を見てみよう。

(企画・構成 石井祥裕/典礼神学者)


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

18 + 7 =