ことばの窓 3

 

(写真提供:中沢恵理)

 

私達は日頃、自分の足で立っていると思っているが、実は、自分の力のみで立っているのではない。心臓の鼓動が鳴っているのも、自分の意思のみではない。人はそれぞれに何処かが欠けた器でありながら、自分が〈大いなる命〉につながって生きることを知る時、被造物であるという存在の歓びを知る。そして、目には見えない〈大いなる命〉と共に生きる感覚を養うなら、日々の素朴な風景も〈何か〉を囁きかけるだろう。

(服部 剛/詩人)

 


エンドレス・えんどう 8

人間の心には、他人に踏み込めぬ領域というものがあります。おそらく、全く秘密のない人というのは、この世にいないでしょう。

もし、ひとりの人間が、自ら歩んできた道を個人の歴史として静かに振り返るならば、そこには想像を越えた、無数の手に支えられて、自分がここまで歩いてきたことに気づくでしょう。そして、その時、自分のいのちは自分だけのものではない、と知るのです。

ずっと忘れていた多くの恵みは、陽光のように密かに降り注がれ、それは今も続いています。そのような恵みと同時に、人間は大なり小なりの秘密を持っており、その秘密を通じてこそ、実は姿のない神はその人とかかわろうとしているのです。

『深い河』第5章は、そんな「秘密」についての話です。登場人物の木口の戦友・塚田は戦地でのおそろしい記憶に苦しみ、戦後の長い年月を経てもなお、懊悩(おうのう)は続き、アルコール依存症になってしまいます。5章の始めにも描かれているように、戦後に生まれた僕の世代は、木口と塚田が戦地で体験した地獄絵図の風景を想像することさえできません。その心の傷の深さを思うならば――戦争に従事した人間にかける言葉を見つけることができません。

僕は友人の祖父Kさんの話を思い出します。Kさんは真面目な公務員でしたが、戦地で耐え難い体験をしたのか、戦後はギャンブル依存症となり、負けた夜は家族に怒鳴り散らし、働く意欲もみせず、妻が働いたお金を取り上げては飲酒や賭け事に使ってしまったそうです。七十歳を過ぎる頃に亡くなりましたが、その数日後、寝ている妻の目に哀しい表情をしたKさんが天井に現れたといいます。

僕の祖父も戦争経験者でした。戦地で心身ともに疲れ果て、戦後は療養の身でした。若い妻と幼い2人の子どもを遺し、病床でいのちを終えました。その夜、祖母は窓外にぼんやりと白い面影を確かに見た、と僕に生前、話してくれました。

この原稿を書く一週間前は終戦記念日でした。先の大戦によって、人生が変わってしまった多くの人々がいました。『深い河』第5章の頁を捲りながら、僕はそっと両手を組み合わせ、心の中で(世を去った人々の想いが天から地へと吹く風となりますように――)とひと時、祈りました。

(服部 剛/詩人)

 


ことばの窓 2

時に誰もが、人知れず悩みや哀しみの夜を過ごすことがあり、今夜もこの世界の何処かに、悲嘆の人がいる。人が人を救うことは容易(たやす)くないが――もし、信仰があるならば?と、呟(つぶや)いてみる。深夜の暗闇から「ひかりの朝」へと転換されてゆく〈信仰の目〉をもって、生きること。夜明けの青空に薄っすら浮かぶ、イエスの澄んだ瞳が〈私をじっとみつめている…〉と心から信じる時、悲嘆の人はゆっくり、立ちあがる。

(服部 剛/詩人)

 

※今回の詩は、斎藤菜穂子著『霧の町を訪ねる日』(土曜美術社出版販売)に掲載されています。

 


エンドレス・えんどう 7

人間は、日々、言葉というものを使ってコミュニケーションをとっていますが、その言葉というものの使い方は、なかなか難しいものです。たとえば、職場で上司や部下に伝える言葉も、その真意が伝わっていない場面が多々あり、それは人間関係の難しさを示しています。さまざまな人間関係の中で、私たちは言葉に疲れてしまうことがあります。そんなときにホッとさせてくれる存在が、犬や猫などの動物だという人も多いのではないでしょうか?

『深い河』の4章では、動物と心を通わせる童話作家・沼田について描かれています。沼田にとって、いつまでも忘れ得ぬ思い出の愛犬・クロは、遠藤周作が少年時代に可愛がったクロについての思い出がほぼ、そのまま語られています。両親の不和で、いつも学校の帰り道をとぼとぼ…歩いていた周作少年は〈(家に)帰りたくないよ〉*1 と、友達にも話せない哀しみを、クロだけには話すことができました。

犬や猫は、言葉を話す人間にはない能力があるのかもしれません。僕の妻も、独身の頃に、クロという犬を飼っていました。働きながら病身の両親の看護に追われ、そんな中でクロも年老いて歩けなくなり介護を要するようになり、いっぱいいっぱいになった当時の妻は心の中で〈もうこれ以上無理…〉と思い始めていたある日、クロは萎えた足で立ち上がると、いきなり走り出し、庭の柵を飛び越え、アスファルトに落下して、その生涯を終えたのでした。

僕にも、ある野良猫についての思い出があります。高校2年生の頃は、気の合う友達がいなくて、学校帰りや深夜の駅に行っては、人なつっこくすり寄ってくる猫をニャー子と名付け、可愛がっていました。高校3年生になって失恋をしたときのこと。駅のベンチに座り、ニャー子を膝の上にのせながらしょんぼりしていると、その哀しみに気付いたように「にゃあにゃあにゃあにゃあ」と頻(しき)りに鳴き始め、励ましてくれた場面が、今も思い出されます。

『深い河』の4章の中で、沼田はクロやピエロと名付けた犀鳥と心を通わせ、動物は言語を越えた次元で、飼い主の傍らに寄り添う存在となっています。そして、遠藤は、かれらの中に偏在して宿る〈同伴者イエス〉の存在を直感し、記したのでした。

(服部 剛/詩人)

*1は『深い河』 遠藤周作(講談社)より、引用しました。

 


ことばの窓 1

今から約二千年前、イエス・キリストは人々に「歓びの知らせ」を語った。聖書には「御言葉(みことば)は人となられた」と記されているように、イエス自身が「神の御言葉(メッセージ)そのもの」である。そのイエスが語る喩え話の節々には、詩が存在する。

「歓びの知らせ」とは福音のことだが、日本人に、その言葉の意味は伝わりにくい。もし、キリスト教の言葉が、日本人の感性に響く言葉に変換されなければ、イエスのメッセージが日本に花開くことはないであろう。

しかし、詩情(ポエジー)というものは、深い宗教性をも伝え得る――そんな願いをこめて「AMOR」の読者の皆様が、これから始まる「ことばの窓」の画面の前で、ふと立ち止まり、思いを巡らせるひと時となれば幸いである。

(服部 剛/詩人)

 


エンドレス・えんどう 6

人は誰もが、人生の何処かで<私は何のために生きているのだろう?>と考える時期があると思います。僕の場合は、思春期に<生きる意味>を自らに問い、思いを巡らせていました。

『深い河』の中では、それぞれの登場人物が自らの人生経験を通して、苦しみの先にある大事な<何か>を求めてインドへの旅に出ます。その中でも、特に<ほんものの人生>を求める思いが強いのは、主人公の一人である美津子でしょう。美津子は、不器用で真面目な主人公・同級生の大津を弄ぶ女です。実家の父親に金銭をせがみ、大学生でありながらも高級マンションに住み、コニャックを飲んでは男友達と騒ぎます。ですが、そんな美津子の心は、いつも虚ろでした。

一見、掴みどころのない、この人生の<虚ろ>を充たすものは一体何か? 『深い河』という小説の中から、美津子は読者にそう問いかけているようです。

* * *

最近、僕はあるシスターと<神のイメージ>について語らう機会がありました。旧約聖書のイザヤ書52章を読んで分かち合った後、僕はシスターに尋ねました。

「この箇所は遺作の『深い河』で引用されていますが、なぜ遠藤文学の中では<無力なイエス像>が描かれるのか、僕はふと考えることがあります。そして、もし神の姿が強いものでしかなければ、果たして人は救われるだろうか、とも。イエスのように全き従順な姿で十字架に架けられることは…普通ではとてもできないことですが、その<みじめで、みすぼらしい>沈黙の姿の内に、目には見えない<愛そのもの>が宿っているような気がします」

僕が問う言葉に、シスターはゆっくり頷くと、「そのイエスの姿は、ギリシャ語でケノーシスと言い、天の御心のままに生きる<自己無化>という意味です」と、静かに語りました。

* * *

美津子は、純粋に神を信じる大津を軽蔑しながらも、ある日、大学内にあるチャペルへと足を踏み入れます。誰もいないチャペルの祭壇の前に美津子が目を向けると、痩せた男が十字架に架けられたまま、俯いています。(彼の姿は言葉なく何かを語っている・・・)と、美津子は密かに直感します。十字架に架けられた彼は、<ほんものの人生>への入口であるかのように、黙して、美津子の前で両腕を広げているのでした。空虚な美津子そのものを抱くかのように――。

(服部 剛/詩人)

 


切支丹の声

服部 剛(詩人)

「日本人とキリスト教」―― この両者は互いに溶け合わないようで、実は、遠い過去から密かな糸で結ばれているのではないか、と私は思う。もし、今までの日本にキリスト教が存在していなかったとしても、この国は変わらずに存在してきたかもしれない、とも思う。そう仮定するほど、「日本人の心に届くキリスト教」は、未だに実現していない。作家・遠藤周作はそのテーマを生涯追い求め、道標(みちしるべ)となる作品を世に遺していった。

日本は島国であるゆえに、昔から異国の文化を〈受け入れる〉という性質をもっている。その〈受け入れる〉という性質は、母性に通じている。女性が子を生むように、日本は異文化を自らの内に受け入れ、より良いものとして生み出してきた。例えば、自動車も日本にきて、より性能の良いものとしてリニューアルされた。仏教についても、禅寺の庭を眺めるひと時に感じるのは、遠い国から渡ってきた仏教の根本的な宗教性を受け入れ、生かしながら、日本人にとって血の通うものへと変容されていった。だが、キリスト教については、日本人の文化や精神になじんだ変容が成されていないように、私は感じる。

遠藤周作文学館(長崎市)、書斎の再現

〈異国のものを受け入れ、日本らしく生み出す〉という性質をキリスト教で考えるならば、遠藤はパイオニアであり、その象徴の一つは、迫害時代に隠れながらも切支丹が拝んだ「マリア観音」であろう。遠藤は短篇『母なるもの』の中で、父と別れた母が縋(すが)った信仰についての葛藤を、自らの思春期を投影しつつ描いている。母の信仰に背を向けるように、悪友と遊ぶ自分の心の中には絶えず、後ろめたさがあったという。

やがて大人になった遠藤は、すでに世を去っていた母の信仰のルーツでもある長崎へ旅に出る。そして、切支丹の里を巡り、その子孫の家を訪れ、神棚の垂れ幕がゆっくりめくられると、キリストを抱く聖母の絵が現れた。それは聖母であると同時に、野良着姿で胸がはだけ、乳飲み子を抱く農婦の姿であった。

「私はその不器用な手で描かれた母親の顔からしばし、眼を離すことができなかった。彼等はこの母の絵にむかって、節くれだった手を合わせて、許しのオラショを祈ったのだ。彼等もまた、この私と同じ思いだったのかという感慨が胸にこみあげてきた。 ~中略~ 私はその時、自分の母のことを考え、母はまた私のそばに灰色の翳(かげ)のように立っていた。*1」

同記念館のテラス

かつて、迫害の恐怖の中で踏み絵に足をかけながらも、心の中では許しを乞い、信仰を棄てきれなかった隠れ切支丹の後ろめたさと、自分が信仰に生きる母に抱いてきた後ろめたさは通じるという、時を越えた「切支丹の声」を、遠藤は長崎の旅で聴いたのだった。

そして、遠藤文学の中の登場人物のような誰かが、どんなに失敗しても、回り道をしても、汚れた足で再び立ち上がれるように、「母なるもの」の密かなまなざしは今日も、夕焼け空の雲間から、悲嘆の人の心にそっと光を射すであろう。

(文中、敬称略。*1は『母なるもの』遠藤周作(新潮社文庫)より引用しました。)

 


エンドレス・えんどう 5

 世の中には時々、不思議なことがあります。前回に続き、『深い河』に描かれていることの中で、もう一つ、〈不思議なこと〉について、考えてみましょう。

 病により死を前にした磯辺の妻は、ある夜、夢を見ます。それは、慣れない一人暮らしをする磯辺が薬缶の湯を沸かしたままガスの日を消し忘れ、空焚きになっているさまを目撃し、「危ない!」と必死に叫ぶ夢でした。翌日、見舞いに行った磯辺は、妻からその話を聞き、正夢だったため愕然とします。

 このエピソードを、遠藤は〈ドリームテレパシー〉と呼んでいます。この箇所を読んだとき、僕は八年前の冬にみた夢の中で聴いた、同居していた祖母の叫びを思い出しました。

 それは、夜明け前の出来事でした。私は夢の中で(現実かのような)その声を、確かに聴いたのです——。祖母の姿は見えませんでしたが、何処かの渦に吸い込まれそうな祖母が、必死に僕の名前を叫ぶのが聴こえ、目が覚めました。その三十分後に電話のベルが鳴りました。

祖母の入院する病院に駆けつけると、すっかり痩せた祖母はいくつもの管に繋がれ、肩で微かに息をしていました。目は閉じられ、もう会話はできません。〈婆ちゃん… 呼んでくれたんだな〉僕は直感しました。約一時間後、祖母は静かに息を引き取りました。病室の外の休憩所では、テレビで長唄の番組を放映され、生前の祖母がよく観ていた番組でした。奇遇にも、一つの魂が冥土に入ってゆくことを語る唄が静かに流れていました。窓外に広がる七里ガ浜の海を見つめながら、僕は心の中で呟きました。〈婆ちゃん、長い人生、本当にお疲れ様でした。婆ちゃんの畳の部屋で、よく文学や信仰の話をしたよね。いつも「何かを知りたい」と願う僕に、婆ちゃんはヒントを遺して、逝ったんだね…ありがとう〉

 あれから年月を経て、僕は『深い河』を読んでいます。そこには死を前にする患者(磯辺の妻)と、窓外に立つ樹の対話が描かれています。

(服部剛/詩人)


沈黙の風景 5

服部 剛

 夕刻の高速船は鯛ノ浦からゆっくりと出港し、上五島の島が遠のいてゆく。この日の海は比較的凪いでおり、雲間から漏れる西陽が、海原を淡い夕暮れ色に染めていた。巡礼の旅の間に改めて読んだ『沈黙』は、鞄の中で静かに眠っている。長崎へ戻る船の中で私の頭から離れなかったのは、ロドリゴが踏絵を踏んだ後の章に引用されている『長崎出島オランダ商館員ヨナセンの日記』に書かれた、荒木トマスについての記述である。ローマへと派遣され、法王の侍従という役を務めた彼も、日本で捕えられた後(のち)、晩年は精神をはげしく乱していたという。その最期は、「一昼夜穴で吊るされた後、教えを棄てたが、心中には信仰を失わず死亡した」(『沈黙』、遠藤周作著、新潮社)と書かれている。この〈心に中に消えない信仰〉というテーマは、遠藤が描いた『沈黙』の中で、時に激しく揺らぎながらも、一貫する通奏低音として鳴り響いている。

 井上筑後守(ちくごのかみ)は、棄教後のロドリゴを奉行所に呼び、「(パードレ=

長崎歴史資料館

司祭は)この日本と申す泥沼に破れたのだ」(『沈黙』、遠藤周作著、新潮社)と語ったが、その日本という沼地の中にも、そして、岡田三右衛門という日本人として生きねばならなくなったロドリゴの心の奥深くにも、〈踏絵のイエス〉は囁き続けるであろう――。それは嘗(かつ)て、切支丹禁制下の日本で、あまたの貧しい人々が信仰に縋(すが)り、時代の掟により凄惨な拷問に喘ぎ、または、踏絵のイエスを踏まざるをえなかった、深い心の痛みを生涯抱えて生きねばならなかった、名も無き人々の生涯を通して、現代を生きる私達にも何かを、語りかけているのかもしれない。

 21世紀の日本という、転換期を迎えつつあるこの国の人々の心は、霞みがかった時代の中で、渇いている。孤独な夜の哀しみに俯(うつむ)く誰かを探し求めて、遠藤文学の中に描かれる〈イエスの面影〉は今日も、風の姿で街を歩いている。そして、私達の日々の出来事の最中(さなか)にも密かに働きかけるその人は、沈黙の声をあなたに囁くであろう。

 高速船のスピードはいつしか緩やかになり、地上の星々のような長崎の灯が近づいて

記念坂

きた。明日は在りし日の遠藤周作が愛した、大浦天主堂の脇にある祈念坂の石段を、ゆっくり歩こうと思う。 (完)


沈黙の風景 4

服部 剛



 

朝、民宿の布団の中で目を覚ますと、枕元に置いた携帯電話の画面が着信を知らせていた。折り返すと、五島列島出身の友人からであった。「おはよう。今日で五島にいるのは最終日なんだけど、朝飯を済ませたら、巡礼の最後に頭ヶ島(かつらがしま)天主堂に行こうと思って」「あら、そう!その天主堂は、以前、『周作クラブ』(遠藤文学愛読者の会)の旅で五島に行ったとき、遠藤先生の奥様が〈ここが一番素晴らしいわ〉と言った場所よ。巡礼の最後がその場所なんて、最初から考えていたの?」 「いや、そういう訳じゃないけど……」 ――電話を終えた私は、胸中が静かに高鳴るのを感じた。

有川港の近くにある民宿を後にして、車で30~40分走ると、上五島と頭ヶ島を結ぶ橋に入ったので、アクセルを踏み、加速した。年の瀬になろうという時期ゆえに、少し窓を開けただけでも冷たい風が、びゅうと吹き込む。橋を渡り終えると、今度は曲がりくねった道が続いた後、灰色の空の下に広がる海と、無人の白い砂浜が見えてきた。

駐車場に車を停めて外に出ると、少し高い場所にある石造りの天主堂が、時化(し

頭ヶ島天主堂

け)に荒れる海を黙って眺めるように建っていた。〈五島での巡礼も、ここで最後か〉という感慨を抱きながら、聖堂内に入る。祭壇の前で手を合わせようとしたとき、背後の入口で「どうしようか……」と困っている声が聴こえた。振り返ると、40代くらいの男女が、車椅子に乗った年老いた母親と思われる女性を連れていた。入口に大きな木箱が置かれているため入れず、顔を見合わせている。私は心の中で〈五島の巡礼の最後の場所で出逢ったのは何かのご縁かもしれないな〉と思い、入口の方へ近づいていった。「あの……実は、先月まで介護職だったので、お婆さんを一緒に抱えられますよ」と伝え、私は上半身を、息子さんには下半身を抱えてもらうと、祭壇の前にゆっくりと下ろした。年齢相応に物忘れもあるようだが、息子さんが運んできた車椅子に再び座ったお婆さんは、お祈りをするように、少しの間、祭壇の十字架に目を細めていた。

「どちらからですか?」「はい、鎌倉です」「え!  私も実家は鎌倉で、腰越小学校の出なんですよ」「えっ?  母も腰越に住んだことがあるんですよ」。いくら偶然とはいえ、五島の巡礼の最後の場所で、遥か遠い空の下の、同じ地元の方々と、頭ヶ島天主堂の祭壇の前で共に佇むことになろうとは……。このとき、私は〈目に見えない、沈黙の神〉の働きを、感じずにはいられなかった。私は自ずと笑顔になり、しゃがんで、お婆さんと目を合わせ、細く冷たい手を、少しの間、握った。壁に掛けられた額縁の中で、イエスは無力にも、十字架上で項垂(うなだ)れている。遠藤周作も度々、その作品の中で「無力なイエス像」を描いている。

今、私が目の前にしているお婆さんの長い人生の中にも、おそらく深い哀しみの夜があり、そのときも神は沈黙していたであろう。だが、額縁の中で力無く頭を垂れるイエスは、時に不思議なわざを現す……。私の胸中には、そんな思いが芽生えた。

もう一度、息子さんと私でお婆さんを抱え、入口に置いた車椅子にゆっくり乗せた。「ありがとうございました……」「いいえ、また旅の後、鎌倉で会いましょう」。そう言って手を振りつつ、車椅子を押して去ってゆく三人の後ろ姿を見送った。

誰もいなくなった聖堂の中で、旅の導きを感じながら祈った後、私はゆっくり腰を上げた。 天主堂を出て、古い鐘の傍らを通り過ぎ、石畳の道を下ると、浜辺から激しい波の音が響いてきた。白い浜辺が見えてくると、右手に無数の十字架が姿を現し、かつて、遠い日に切支丹として生涯を送った人々の魂が、懐かしくも哀しみを帯びた灰色の海を、いつまでも眺めていた。