森 裕行(縄文小説家) めぐる季節の中で、愛そのものの魂を感じることが、人生にとってとても大事だと知ったのはいつだったのだろう。エリクソン(Erik Homburger Erikson 1902〜1994) Continue reading

森 裕行(縄文小説家) めぐる季節の中で、愛そのものの魂を感じることが、人生にとってとても大事だと知ったのはいつだったのだろう。エリクソン(Erik Homburger Erikson 1902〜1994) Continue reading
森 裕行(縄文小説家) 私の記憶は足の記憶から始まった。2歳になるかならないころ、日光東照宮の入り口付近の砂利道を歩いた足の裏の感触であった。その後怖い山門の仁王像におびえて泣いて、母に抱きかかえられた記憶も。足の裏の Continue reading
森 裕行(縄文小説家) 今から10年前の2015年。新宿区歴史博物館で「新宿に縄文人現る」という展示会があった。私が幼いころから青年期まで住んでいた四ツ谷坂町から、歩いて20分くらいだろうか。今の市ヶ谷防衛省の北側の加賀 Continue reading
森 裕行(縄文小説家) 小林一茶(1763-1828)が次の句を残している。 「深川や蛎殻山(かきがらやま)の秋の月」(1821) 晩年の句でありながら、代表的な句の一つに数えられている。ただ、この蛎殻山とは何を指してい Continue reading
森 裕行(縄文小説家) 私は生まれてすぐに大田区の羽田飛行場の近くで両親と一年くらい住んだ。もちろん記憶はないが、大森周辺にはとても親しみを覚える。そこには有名な大森貝塚があり、日本の考古学の父ともいえるE.S.モースに Continue reading
森 裕行(縄文小説家) 7歳の時(1958年頃)の異文化体験。南西アラスカのシトカという島嶼部の町に父母と暮らしたが、早春に父と一緒に船に乗って一日を過ごしたことがあった。静かな湾は薄い氷がはっていたように思うが、父と Continue reading
森 裕行(縄文小説家) 私が学生時代のころ、スーパーコンピュータのメインメモリーは1MBとか2MBだった。それが今はスマホでも4GBとかで軽く1000倍以上。様変わりしたデジタル社会では、美しい動画が溢れ、必要な情報は Continue reading
森 裕行(縄文小説家) 私は多摩にもう30年以上住んでいる。人生の中で一番長く住んできた地域である。しかし、あなたの故郷(ふるさと)はどこですか? と聞かれると、物心ついて育った四ツ谷・坂町と答えるかもしれないが、7歳の Continue reading
森 裕行(縄文小説家) 17.縄文人の時と祈り 先日、8歳の子供に引っぱりまわされる地元の縄文遺跡散歩を楽しんだ。「この縄文遺跡は5000年ほど前の……」と説明して頷いてくれるのは大人であるが、子供は Continue reading
森 裕行(縄文小説家) 16.柄鏡型敷石住居と「わび・さび」 緑が力を増してきた2024年5月14日の夕方。多摩センター駅近くの都埋文の縄文の森を尋ねた。西から苑内に入るとすぐに柄鏡形敷石住居が迎えてくれる。何か茶 Continue reading
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