茜色に焼かれる


2019年、池袋で起こった自動車の暴走事件は衝撃的でした。元官僚の老人が自動車を暴走させて何人もの人を傷つけ、死者を出した事件ですが、この事件がベースになっているのかどうかは分かりませんが、大切な人を亡くし、苦しい中で生きる母親の姿を描いた映画が公開されています。その作品の名は『茜色に焼かれる』です。

主人公の田中良子(尾野真千子)は、7年前ロック・ミュージシャンの夫・陽一(オダギリジョー)が30歳の若さで事故死しています。自転車に乗って横断歩道を渡っている最中に元官僚の85歳の老人が運転する車にはねられたのです。その老人は認知症を患っているという理由で逮捕すらされませんでした。その人は7年経って92歳の天寿を全うします。老人の死を知った良子は、葬儀に参列しようとしますが、遺族から嫌がらせだと思われ、斎場から強制的に追い出されてしまいます。良子の息子、13歳になる順平(和田庵)は、なぜ葬儀に参列しようとしたのかといますが、「もう一度顔が見たかっただけ」としか答えません。なおも問い詰める順平に対して「まあ頑張りましょう」としか答えません。

良子は、以前小さなカフェを経営していましたが、コロナ禍で破綻してしまい、今はスーパーアポロンの花売り場でアルバイトを していました。一人息子との生活費だけでなく、脳梗塞で倒れた義父の老人ホーム入居費も負担していたので、住居費の安い市営団地に住んでいても家計は追いつきません。良子は生活を支えるために、順平にも明かせないピンクサロンでも働いていました。同僚のケイ(片山友城希)は、面倒な男性たちの相手をする日々に愚痴が止まりません。啓は幼い時から糖尿病の持病があり、高価なインスリンが欠かせない日々で、良子同様お金が必要でした。

そんなケイでも良子の生活に納得できないのは、亡き夫が他の女性との間に作った娘の養育費を払っている子でした。ただでさえ苦しい生活の中から養育費を払い、義父のホーム入居費を払う生活を理解できなかったのです。それなのに、夫を奪った加害者から支払われるはずだった賠償金を一切受け取っていないのです。その理由は徒党と、『謝罪の言葉が一言もなかったから』というのです。ともに暮らす順平すら、母の本心は分かりません。

夫の命日にバンド仲間が集まり、夫を偲ぶ中で、順平は、母が女優だったことを知ります。それについて問うと、「芝居だけが真実。田中良子の真実」とだけ答え、いつものように、「まあ頑張りましょう」というのです。

そんなある日、良子は中学時代の同級生熊木(大塚ヒロタ)と再会します。旧交を温めつつも、淡い夢を抱くようになります。一方、順平は、上級生からのいじめに耐えていました。そんな中、酔った母を迎えに行き、ケイと出会います。ケイに対してほのかな恋心を抱くまでになり、デートに誘おうとケイの家まで向かうのですが、そこには同居する男に暴力を受けるケイの姿がありました。

ここからは皆さん観てのお楽しみです。良子と熊木の関係は、順平とケイは、そして、良子親子の将来は……。この映画を石井監督は、「多くの人が虚しさと苦しさを抱えている今、きれいごとの愛は何の癒やしにもならないと思います。この映画の主人公も、僕たちと同じように傷ついています。そして、理不尽なまでにあらゆるものが奪われていきます。大切な人を失い、お金はもちろん、果ては尊厳までもが奪われていきます。それでもこの主人公が最後の最後まで絶対に手放さないものを描きたいと思いました。それはきっと、この時代の希望と呼べるものだと思います」と書いています。絶対に手放さないものとは何なのか、そしてタイトルの茜色の意味を映画館に足を運んでみてください。生きる希望が生まれるかもしれません。

(中村恵里香、ライター)

5/21(金)TOHOシネマズ日比谷ほか全国公開
スタッフ
監督・脚本・編集:石井裕也
出演
尾野真千子、和田 庵、片山友希、オダギリジョー、永瀬正敏ほか

『茜色に焼かれる』フィルムパートナーズ:朝日新聞社 RIKIプロジェクト/製作幹事:朝日新聞社 制作プロダクション:RIKIプロジェクト/配給:フィルムランド 朝日新聞社 スターサンズ
2021年/日本/144分/カラー/シネマスコープ/5.1ch R-15+
©2021『茜色に焼かれる』フィルムパートナーズ


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