ティツィアーノ『エマオの晩餐』
稲川保明(カトリック東京教区司祭)
今回は、ヴェネツィア派の巨匠ティツィアーノ(Tiziano Vecellio, 生没年1490頃~1576)の作品です(ティツィアーノについてはアート&バイブル14で紹介しています)。
ティツィアーノは、ラファエロやミケランジェロと同じ時代に活躍していますが、ラファエロが短命であったのに反して、ミケランジェロ同様、長生きして、活躍の場を広げています。ルネサンス美術は、アルプスの北と南で、15世紀の初め頃に同時に起こっていまが、それぞれの民族の感性の違いから異なった様相を表しています。
イタリア・ルネサンスでは、フィレンツェ派とヴェネツィア派が挙げられますが、フィレンツェ派にはダヴィンチ、ラファエロ、ミケランジェロ、ヴェネツィア派にはジョルジョーネ、ベッリーニ、ティツィアーノを挙げることができます。
フィレンツェ派とヴェネツィア派の絵の描き方には大きな違いがありました。それは、フィレンツェ派は、まずデッサンを描き、その上に色を塗っていくという手法で、徹底的に輪郭を重視し、その輪郭に沿って彩色していきました。それに対して、ヴェネツィア派は、海に囲まれ、湿気の多い土地柄からも、フレスコ画を描くことは不可能でした。そこで、キャンバスや板に直接、色彩を重視し、絵の具を重ねながら輪郭を作っていく方法で描いていったのです。このたね、ヴェネツィア派の絵画は、フレスコ画のように剥げ落ちる心配が少なく、今でも鮮明な色のままで見ることができることは幸いなことです。
この作品は、1530年頃の作品です。モティーフはルカ24章13~35節に記されている、エマオに向かう弟子に現れたキリストが宿に泊まり、晩餐の時にパンを祝福し、それがきっかけとなって二人の弟子がキリストだと悟るという場面です。
【鑑賞のポイント】
(1)この作品の魅力は、テーブルについているイエスと二人の弟子の様子が絶妙なことです。イエスは右側にいる弟子のほうに顔を向け、左手でパンを持ち、右手で祝福をしようとしています。右側にいる弟子は、思わず手を合わせて、その様子を身を乗り出して見守り、左側の弟子のほうは、イエスの姿やなさろうとしていることに驚き、のけぞるような姿で驚愕しながら、その出来事を見守っています。「このお方は!?」と、彼らが復活したイエスの存在に気がつく、まさにその一瞬が近づいています。宿の主人や少年の召使はヴェネツィアの人々の衣装風俗をしています。
(2)テーブルの下に犬と猫が描かれています。当時、猫は闇の象徴、犬は忠実の象徴と言われていましたが、船乗りたちはネズミの害から守ってくれる猫を大事にしていたので、ヴェネツィアの人たちは、猫を闇や裏切りのシンボルとしてだけではない意味で捉えていたのかもしれません。「信じたい気持ち」と「信じられない気持ち」の両方を表現しているものなのかもしれません。
(3)召使の少年の頭上あたりの壁に写る影のようなものは、ハプスブルグ家の紋章である「双頭の鷲」のように見えます。ティツィアーノは当時ヨーロッパのさまざまな王家や貴族から絵を依頼され、「絵画王」と呼ばれたほどでしたから、この絵にも、そのような関係があるかもしれません。
(4)イエスと右側の弟子の背景には、夕暮れの様子が絶妙な筆遣いで描かれています。カラヴァッジョにも同じ「エマオの晩餐」という作品がありますが、ティツィアーノの作品のほうがより芸術性が高いと思います。