「じゃじゃ馬亭ガリ子でございます」――親しき友の落語修業談


落語という話芸は、日本の芸能を代表する一つだが、プロの落語家はどれぐらいいるのだろう。そして落語ファン、愛視聴家は数かぎりないのだろう。飛行機のプログラムでも必ず落語チャンネルがあるほどに。記者はこの分野にも明るくないのだが、きわめて親しいところに落語を習い始めた人がいる。何百万人の一例にすぎないのかもしれないが、その人の談話の中から垣間見えた落語の真実と笑いの真実……。

その人とは大学のある部門室に臨時職として6年ほど同僚だった方。長年地元の市民劇団に参加していて、毎年の公演にも誘ってくれ、記者を市民演劇のファンにしてくれた人だった。人呼んで(自分でもそう呼んで)スーチャン(Suchan)こと須藤文江さんである。その大学の事務部門に勤続し、定年退職も近い頃から演劇活動に熱心な人だ。

「わたしは芝居の中でも喜劇的な役が当てられることが多かったんです。天性なのか? 人に対して垣根なく接するといわれるし、もともと声も大きいし。」

実際なんどか芝居を鑑賞したが、小さく細い体に比して、どこからそんな力が、と思えるほど声が大きく、存在感が大きかった。そんなスーチャンは、落語も愛聴していたという。

「落語は前から好きなことは好きだった。お正月には浅草の演芸ホールに一日といるときもあった。いつぐらいからって? この7、8年ぐらいかな。漫才も好きだったけれどね。」

そんなスーチャンが落語を習い始めたとのは4年ほど前。事務室で聴いたときも、急に何で、と、その唐突さに仰天したものだった……

「2017年の6月ぐらいから始めた。なんでか、って。その年、2月の恒例の市民演劇公演を急病で休んだことがあったでしょう。気胸になって。何もできなくて、うちでボーッとしていた。ほんとうに気持ちがまいっていたんだと思う。と、5月ごろ、急になんか、落語がやりたくなって。なんだかわからないけれど……」

急に思い立ったスーチャン。ネットで落語を習えるところを探して、ある落語家が師匠となって教える教室を探し、通い始めた。古いマンションの一室。最初は、自己紹介を小話風にしてくれませんかと、いうお題。演劇でセリフのある芝居を経験していたし、落語もよく聴いていたとはいえ、自分で話を実演したことはなく、四苦八苦。

以後、師匠が披露してくれる小話を録画しては、家でそれをパソコンで打って台本にしてみて、覚えるという修業が始まった。

「あるとき使った台本のお古でもいいからありませんか、とお願いして、ぼろぼろのものをもらって、それも自分で清書するなど、勉強したわけよ。実際に人前でやったのは、一年ぐらいたってからかな。地域の婦人の会で」

最近は老人クラブのお楽しみコーナーや地域の文化ステーションの落語会で呼ばれることがたびたびとなっている。「じゃじゃ馬亭ガリ子」は、地域では知られつつある。

「ただ、自分の話だけでは、もたないので、弟子仲間の36歳の青年F君と組んで、公演することが多い。彼も演劇青年だったから、演技力もあるし、評判なのよ。去年の12月には、ちゃんとしたホールでしっかりとした高座が組まれていて、係の人がついているなど本格的だった。今度の8月にもまたあるけれど、今度はダンスやクラリネット演奏などのプログラムもあるの。」

ぜひ、聞きにいきたい! 落語が日本の町に根付く市民文化であることがあざやかに見えてくる。

「じゃじゃ馬亭ガリ子」ことスーチャン。

「声が大きくて物怖じしないように見えるらしいのだけれど、ほんとうは、ドキドキしいなの。この前6月、動悸がした。おかしいな。激しい運動もしていないのに。循環器の病院に行ってエコーを撮ってもらったら、ほんとうにちょっと不整脈があるということ。なにかストレスがありませんかって聞かれて、家族のことで気がかりなことは最近多々あったけれど、それほど自覚するようなストレスはないと言うと、がんばりすぎるんじゃありませんかって。たしかに、落語に関してはがんばっているかな。でも、これで頑張ることがなくなったらもっとストレスになる。

ともかくでも、落語はちゃんと仕上げたいと思っている。7割の出来でよいと思えないタチなの。上を目指しても限度があるからしようがないのだけども、それでも何とか自分の力を上に持っていって本番に臨みたいと思っている。だから時間がかかるし、苦しい。苦しいのだったら、やらなければいいのにと、自分でも思うこともあるけれど、とてもできそうにないなと思っていたことができるようになると、またやりたくなる。

お師匠さんからは、素人落語家というと癖がついてしまい、自分は結構うまいんだと思っている節が見えてしまう人がいるが、わたしにはそういうのはない、直しようがあるって言われている。」

ええ、それはとてもよくわかります。謙虚に取り組んでいることですね。だからがんばれるのでしょ! ところで、「落語の魅力」とは? どこに感じていますか?

「そうね。落語にはぐずというか与太郎というかちょっと人のいい人が出てくる。普通の生活をするのにはぐずぐずとした人。そういう人に対して、世話を焼く人が出てくるという形。ふつうには、邪魔にされる人が、落語の世界では、ちゃんと相手にされている。そういう語を聞いていると、その時間だけは、いやなことが忘れられる。それに、古典落語なんかは、演じる人によって全然違ってくる。いっぱい愉しみ方がある。そこが魅力かな。」

こちらも少し落語の世界に心を開いてみようっと。最後に目下の課題について:

「落語では本編の前に『まくら(枕)』という導入部分があります。まくらによってお客様の気持ちが本編に入り易くなる、という効果があります。本編である古典落語の内容は大体決まっていますが、まくらの部分は自分で作らなくてはなりません。これがなかなか大変なんです。私の落語はまくらと本編で20分くらいが多く、持ち時間が30分になると、まくらを長くしなくてはならないので四苦八苦するはめになります。」

とのこと。大変とはいいながら、楽しんでいるようではある。応援していますよ。

話を聴いた喫茶店のコーヒーの味は忘れたが、スーチャンの話を聞いた後、心に芳ばしい香りと活力が湧いていた次第である。

(まとめ:石井祥裕=AMOR編集部)

 


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