毎月第3土曜日をその月の特集の公開日としていますが、8月は奇しくも15日となりました。アジア・太平洋戦争、第二次世界大戦の終戦の日と記念され続ける日です。今年は75周年、第3四半世紀が経過したという時の重みが加わります。
AMORでは、毎年何らかの形であの戦争を想起し、それを巡るさまざまな出来事、経験、思索、表現を見ていくことにしています。あの戦争にかかわるあらゆる事象、人々の数の膨大さに比べれば、大きな氷山を爪楊枝で刻んでいくことにも等しい挑戦かもしれません。それでも、わたしたちの中で、可能なかぎりのことを思い起こす努力、それらを語り継ぎ、聴き継いでいこうという、メディアが果たすべき役割を少しでも担う仲間でありたいと感じています。今回の特集も、それぞれの記事が別の角度と感触をもって、あの歴史とその意味に迫っていこうとしています。
テレビや映画、雑誌などの媒体を通して、たえず、あの戦争に関する歴史や個々の出来事が掘り起こされ続けています。新たな取材、研究、検証の成果の数々は、どれも注目し、自分たちの中に統合していく価値があります。今年あらためて気づかされるのは、大空襲、沖縄戦、広島・長崎の原爆被害などを体験的に証言してくれる人々が80歳代半ば以上、100歳前後までになっているという当然の事実です。そうした人々の生きた声と顔を見ることができる最後の限界線が近づいています。戦後生まれの世代さえ老境に入り、実体験者が地上から旅立つ時が近づいている今、続く広範囲の世代のために、あの歴史を発掘し、記録し、伝え、聴き、語る営みを通しての記憶の共有と鮮明化がますます重要となります。戦争とその真実に関する知見を粘り強く育てていく研究者や伝達者(メディア)の役割がますます大きくなっていきます。
個々人の“自分史”の基層には、家族、共同体、民族、そして人類の経験が堆積しています。伝えられる出来事や人々のことを聴き知ることは、客観的事実についての知識の増加ではなく、自分史の発掘でもあるのです。そして、その歴史の出来事それ自体(いわば“点”)の真実を究明することと、それぞれの点を結んでいった無数の経緯や文脈の広がり(いわば“線”の複合)にまなざしを向けることは、いつも並行し、折り重なって進められていくべきことでしょう。無数の人々の生き方、出来事が交差するさまざまな方向の糸の絡み合いを一つひとつたどる作業は、難儀なものに違いありません。それでも、少しでもそれが希望をたぐり寄せるものとなってほしい、そう願わずにはいられない、夏となっています。
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「歴史から何を学ぶか」が問いかけるもの――「不戦75年」未来へつなぐ
中空のシンポジウム~~久山康編『近代日本とキリスト教―大正・昭和篇―』(1956年) に思う