ドキュメンタリー映画にはさまざまな形がありますが、今を生きる私たちに多くの示唆を与えてくれるものがあるのではないかと私は思っています。
今回ご紹介するドキュメンタリー映画『花のあとさき~ムツばあさんの歩いた道』も今を生きる私たちに長く農に生きた人生のしまい方を見せてくれる映画だと思います。2002年からNHKで7回にわたって放送されたドキュメントなので、ご覧になった方もいらっしゃるかもしれません。かくいう私も7回の内、1回は観ていました。
埼玉県秩父山地の北端に吉田太田部楢尾という村があります。そこに住む小林ムツさんが主人公の物語です。本当に山深い吉田太田部楢尾は、かつて養蚕や炭焼きが盛んで、100人以上の村人の住んでいる村でした。その村がNHK取材班の入った平成13年には戸数5戸、住人9人、平均年齢73歳という村になっていました。
昭和25年26歳の時に隣村から嫁いできたムツさんは、小さな体に大きなかごを背負い、山頂まで続く急な山道を、段々畑と自宅の間を何度も往復して暮らしてきた人です。春はタケノコや山菜、夏は桑の葉、秋には山のような薪、冬には落ち葉で作った堆肥を畑まで運ぶ生活ですが心豊かな生活だったといいます。
そんな生活も養蚕や炭焼きの時代は終わりを告げます。それに変わってこの村を襲ったのが杉の植林です。日本中の山が戦後の住宅供給の担い手として杉の植林を始めます。ところが、海外からの安い材木に押され、杉は手入れもされず放置されていくことになるのです。山は荒れ、村から人が減り、段々畑が荒れる姿をムツはどう見ていたのでしょうか。
平成に入った頃からムツさんは、夫の公一さんと丹精込めて作っていた段々畑を一つまた一つと閉じていき、花を植えていきます。
「長い間お世話になった畑が荒れ果てていくのは申し訳ない。せめて花を咲かせて山に還したい」というムツさんは、村に花を手向け、自らの人生のしまい方を考えているように見えます。2人が心がけているのは、世話する人が誰もいなくなったとしても、丈夫な花を育てることです。丈夫な花を育てることで、おいて枯れる時が来ても、命が引き継がれるようにとの願いを込めてです。
今、吉田太田部楢尾は、二人が願ったように色とりどりの花が咲いています。平成18年には、公一さんが、三年後にはムツさんが亡くなりました。残された花を守ってきた最後の住民も平成29年になくなり、ゆっくりと、着実に残された家は朽ち果てていき、山に還っていきます。自然と共に生きてきた人の言葉には重みがあります。先祖伝来の土地を山に還すとはどういうことなのか、なぜムツさんは山に還したいと思ったのか、山と共に生きるムツさんをはじめとする村人の言葉に耳を傾けるとその答えは見つかると思います。
いつの日か花がいっぱいに咲いている吉田太田部楢尾に足を運びたいと思える作品です。
現在公開中ですので、ぜひ皆さん映画館に足を運び、ムツさんの言葉を噛みしめてみてください。
中村恵里香(ライター)
公式ホームページ: hana-ato.jp
語り:長谷川勝彦/監督・撮影:百崎満晴/プロデューサー:伊藤純
制作著作:NHK/制作:NHKエンタープライズ/配給:NHKエンタープライズ、新日本映画社/宣伝配給協力:ウッキー・プロダクション2020年/日本/112分/ドキュメンタリー/©NHK