松橋輝子(カトリック麹町教会、東京藝術大学大学院博士課程)
教皇が羽田に到着されたとのニュースとほぼ同じタイミングで、私は羽田から長崎へと飛んだ。海の香り漂う長崎空港から市内に入ると、街は教皇歓迎ムードに包まれていた。その高揚感は翌日、笑顔の教皇が長崎県営野球場に入場されると最高潮に達した。朝からの風雨も止み、突き抜けるような青空の下、厳かなミサが始まった。真っ白な祭壇の上に据えられた被爆のマリア像が見守る中、典礼暦年最後の主日「王であるキリストの祭日」にあたり、教皇は私たちに信仰を新たにするようにと呼びかけられた。柔らかな笑顔からは一変したその真剣なまなざしが、脳裏に焼き付いた。その後、長崎では、二十六聖人記念館、浦上天主堂、平和公園、原爆資料館を見て回り、帰路に就いた。キリスト教の伝来、宣教、迫害、殉教、そして被爆など、様々な歴史的情景が長崎の町を歩きながら頭をよぎった。そして、キリスト教の町長崎で教皇のミサに与れたことに大きな意味を感じた。帰りの空港はミサの入館証をつけたままの神父様方で溢れていた。翌日の東京ドームに向けてまた心が高ぶった。
翌日、水道橋の駅は「本日は東京ドームでイベントが開催されます」という駅員の声とともに、たくさんの人々で埋め尽くされていた。実際、東京ドーム周辺はイベント会場のような盛り上がりをみせていた。席に座り上を見上げると、スタンド3階までぎっしりと埋めつくされた人々の熱狂は、まさに圧巻だった。この日本において、これだけ多くの人々が教皇とともに祈りを捧げるために集まること自体が、奇跡のように思われた。幸運にも、教皇を乗せたパパモビルは私の目の前を通り、間近で感じた教皇のオーラ、そしてまなざしに、畏敬の念を覚えた。加えて、教皇の祈る姿やその言葉に強い刺激を受けた。
長崎で感じた温かみのある歓迎、そして、東京ドームを埋め尽くす人々の熱狂は、今でも強く私の心に残っている。教皇が日本にもたらした平和のメッセージの中には、国際社会の問題や政治課題として取り組むだけではない私たち一人ひとりが心がけるべき大切なメッセージが含まれていた。教皇の来日を単なる一イベントとするのではなく、その中で与えられたメッセージを実践していきたいと強く願う。