コレッジョ『聖母の礼拝』
稲川保明(カトリック東京教区司祭)
コレッジョ(Correggio, 生没年1489~1534)は、北イタリア・エミリア地方、特にパルマで活躍した画家です。パルマ近郊の小さな町コレッジョで生まれ、本名はアントニオ・アレグリ(Antonio Allegri)ですが、イタリアの多くの画家がそうであるように、生地にちなんで「コレッジョ」という通称で知られています。彼はこの町コレッジョで教育を受けましたが、17歳の時、疫病の流行のため、家族とともにマントヴァに移り住みました。マントヴァといえば、マンテーニャ(Andrea Mantegna, 1431~1506)、イザベラ・デステ(Isabella d’Este, 1474~1539)が活躍した町であり、ゴンザーガ家によって、また特に後年イザベラ・デステによって収集された絵画コレクションは、若いコレッジョに多大な影響を与えました。
この作品(図1)の来歴、制作注文に関しての由来が不明です。1617年11月6日に、マントヴァのフェルディナンド・ゴンザーガ公爵によって、ウフィツィ宮殿のトリブーナ(八角形の特別陳列室で、メディチ家の最も価値ある美術品が展示されている部屋)に展示され、ラファエロの作品などと一緒に特別に展示されたそうです(現在のウフィツィ美術館は、作者別、時代別に作品が展示され、ラファエロもコレッジョも別の部屋に展示されています)。
コレッジョは、「優美さの点で、身体の効果を描くことにかけてはラファエロに優る」、「魂を描き出す点では、ラファエロが優っている」と、18世紀のドイツ人の画家で古典主義に関する理論書も著しているアントン・ラファエル・メング(Anton Raphael Mengs, 1728~1779)が語るほどでした。この作品における、聖母が幼子キリストの前に跪いて手を合わせるというポーズは、フィリッポ・リッピにも見られますが、コレッジョは比類ない優雅さと人間的情愛を描き出すことに成功しました。
【鑑賞のポイント】
(1)マリアは自分のマントの上に藁を敷き、その上に白い布を敷いて、さらにその上に幼子キリストを寝かせています。フィリッポ・リッピも同じような構図で描いていますが、リッピの作品(図2)の幼子は、裸のまま、地面に置かれています。幼子を自分のマントの上に、二重三重に敷物を敷いた上に寝かせている様子によって、深い人間的愛情が表されています。
(2)微笑みながら両手を開いて抱き上げるような仕草は、聖母に手を差し伸べている幼子の姿に呼応し、この幼子と聖母の絆の深さを感じさせます。幼子の機嫌のよい声が聞こえてきそうなほど、生き生きと描かれています。
(3)キリストの誕生の場所が、荒廃した神殿のような場所として描かれています。キリストが三日で建て直すと言われたエルサレムの神殿を暗示しているのかもしれません。柱、崩れた階段などが見え、明らかに馬小屋ではないことが分かります。
(4)背景に鞍が描かれ、更に遠景には棕櫚が描かれており、エジプトへの避難が暗示されています。
(5)更に、もう一本の木が描かれています。これはイチジクの木です。旧約聖書において、イチジクは豊かな実りとメシアの国における喜ばしい生活のシンボルとされています(列王上5:5、ミカ4:4、ゼカリヤ3:10、ヨエル2:21以下など)。ところが、中世の図像においては、しばしばリンゴの木に代わり、知恵の木の実として描かれています。新約聖書で、キリストが実のならないイチジクを呪ったというエピソード(マタイ21:8以下、マルコ11:12以下、ルカ13:6以下)から、枯れたイチジクの木は実りをもたらさないイスラエル、ユダヤ人、シナゴーグや異教のシンボルと考えられます。
(6)コレッジョは、レオナルド・ダ・ヴィンチからスフマート(ぼかし)技法を学び、さらに彼の特徴となった明暗、すなわち光の効果を活用しています。幼子キリストを礼拝する聖母の絵には、幼子と聖母以外の人物は描かれていません。天使も、聖ヨゼフも羊飼いもいません。一夜が開けて、羊飼いも帰り、聖ヨゼフは食物を求めて出かけたのでしょうか。聖母は、明るく輝き出した朝の光の中で、初めて神の御子である幼子の姿をはっきりと見たのです。お乳を与えるためか、飼葉桶から降ろし、抱き上げようとするその直前、神々しい幼子の姿に心からの賛美を捧げているように見えます。