アンニーバレ・カラッチ『アッピア街道にてペトロに現れたキリスト』
稲川保明(カトリック東京教区司祭)
今回は、アンニーバレ・カラッチ(Annibale Carracci, 生没年1560~1609)の描いた『アッピア街道にてペトロに現れたキリスト』です。作者アンニーバレ・カラッチはボローニャの生まれ。彼の一族は多くの画家を輩出しており、兄のアゴスティーノ・カラッチ (1557~1602)、従兄のルドヴィコ・カラッチ(1555~1619)などが有名です(アート&バイブル20も参照)。
1600年頃のイタリア絵画はマニエリスムにより、いささかマンネリに陥っていた中で、アンニーバレ・カラッチの作品はその活力ある画風により、バロック絵画の先駆けとなりました。バロック様式はある意味で、盛期ルネッサンスの壮大さを復活させ、新たな温もりやダイナミックな動きを加えることになりました。後年、彼が描いたファルネーゼ宮の天井画(フレスコ画)はミケランジェロのシスティーナ礼拝堂の天井画に次ぐものと称賛されました。
この作品はキリストがペトロに現れた場面だとすぐにわかると思います。アッピア街道には今も「ドミネ・クォ・ヴァディス教会」が建っており、キリストの足跡が残る石が置かれています。また、ポーランドの作家ヘンリク・シェンキェヴィッチ(Henryk Sienkiewicz, 1846~1916)による『クォ・ヴァディス:ネロの時代の物語』(1896年)という歴史小説は日本語を含む50以上の言語に翻訳されており、1905年に彼はノーベル文学賞を受賞しています。また1951年には映画化もされ、ネロ皇帝役にはピーター・ユスティノフ(名探偵ポアロ役で有名)、ロバート・ティラーやデボラ・カーが主演を務めた名作です。
【鑑賞のポイント】
(1)暴君と呼ばれる皇帝ネロ(在位年54~68)が支配したローマ時代、キリスト教はペトロ、パウロたちの活躍で次第にその数を増していきましたが、自分を天才と考え、現人神たらんとする野望を抱くネロにとってキリスト教は目障りな存在でした。彼は、ローマを造り変えようと思い立ち、この首都を焼き尽くした罪をキリスト教徒になすりつけ、大規模な迫害を行います。
ペトロもその迫害の手を逃れようと夜の闇にまぎれてアッピア街道を下って行き、ローマから遠く離れようとしました。しかし、明け方近く、なんと十字架を背負った主イエスが向こうからやって来るのです。ペトロは思わず叫びました。「Domine! Quo Vadis? (主よ、いずこへ行かれるのですか?)」と。すると主は答えました。「あなたが逃れて来たローマではたくさんのキリスト者の血が流されている。それゆえ、私はローマに行き、もう一度、十字架にかけられることを望む」と。ペトロは主イエスを押しとどめ、「主よ、見捨てて逃げ出したことをお赦しください。私が参ります」と。
(2)十字架を担うキリストは右手を差し伸べ、ローマの方角を指差しています。その姿は躍動的であり、また年老いたペトロに対し、若々しさを感じさせる姿です。