土屋至
私の所属する CLC(Christian Life Community)が30年ほど前の夏に中伊豆のユースホステルで全国大会を行いました。CLC についてはいずれ紹介したいと思いますが、いまは「イグナチオ・ロヨラの霊性を生きるカトリック教会の信徒のグループ」という紹介にとどめておきましょう。
その大会の参加者は総勢で70名くらいのこじんまりとした集まりだったのですが、この大会の特長は家族ぐるみで参加した人がおおく、子どもたちが10名以上いたので、大人のプログラムとは別にC-CLC(children CLC)のプログラムが同時に行われていたことにあります。
その最終日のミサは、大人のミサと併行して横でこどものミサごっこが行われるという画期的なプログラムでした。
そのときの司式司祭は京都教区の故斉木神父さんでした。子どもたちは10人くらい、どの子もまだ初聖体の前でした。女の子も男の子もみな司祭役です。本番のミサを横でみながら司祭のことばや仕草をまねして唱えたり行ったりします。
聖変化の時には、子どもたちも自分のビスケットとジュースを聖別します。そして聖体拝領の時には大人の参加者は子どもたちの所にいって、そのビスケットももらうことができました。
ともかくこんなミサはもちろん初めてでした。「へ~、こんなこともできるのだ」と思いました。典礼上もゆるされるのかどうかはわかりませんが、子どもたちにもおとなたちにもとても印象的なミサであったことは確かでした。
残念ながらそこにいた子どもたちの中から司祭や修道者の召命を得た人はいませんでしたが、たぶん今でも教会につながっている人が多いと思うのですが、どうかな?
あの時に C-CLC を指導したメンバーに、当時の写真があるかどうか聞いています。そしてあの時に子どもだったひとりが facebook でつながっていて、かれにその時の記憶を蘇らせて書いてくれるように頼んでいるので、コメントがつくであろうことを楽しみにしています。
土屋 至(つちや・いたる)
聖パウロ学園高校「宗教」講師
SIGNIS Japan(カトリックメディア協議会)会長
宗教倫理教育担当者ネットワーク世話人
最初このミサを計画した時、そんなに特別な意識を持っていたわけではありません。ミサの時、いつもホスチアをもらえない、洗礼も受けていない、もちろん初聖体も受けていないチビたちが、聖変化より司祭と祭壇を囲み一緒に祈りを捧げるのです。祭壇上では、ホスチアとカリスの横に、ビスケットとグレープジュースが入った器が並んでいました。
私たちが司祭に説明する時に、特別な全国大会のミサなので、ミサのリアルな祈りの体験をチビたちの記憶に残してやりたい・・・などと話したのではなかったか、と思います。
それが良かったとか、悪かったとか言うより先に、祈りをささげるチビたちの、真剣な眼の輝きがそこにありました。
ご指名をいただきましたので、少しだけコメントさせていただきます。
私は当時おそらくCCLCの中でも最年少くらいの歳だったと思うので、記憶はあまり鮮明ではありませんが、とても特別な経験だったと思います。 その気持ちを今まとめるならば、「普段なら怒られる事を大人公認でできる」という事だったのではないでしょうか。 当時の私にとってミサの真似をするという事はあまり「良い事」とはされていなかったのではないでしょう。 また、教会は私たちの日常の生活の中にありましたが、1週間の中で特に「良い子」である事を求められる時間だったと思うのです。 この特別感の裏には子供達のそんな思いがあったのではないかと思うのです。
少し飛躍があるかもしれませんし、私はあまり難しい事はよくわかりませんが教会は、神様は、「ありのままの私たちを」受け入れてくれる存在なんだ、という事を知る機会になったのではと思っています。