ティツィアーノ・ヴェチェッリオ『聖母子と聖人たち、そしてペザーロ家の人々』
稲川保明(カトリック東京教区司祭)
ティツィアーノ(生没年1490頃~1576。前回、第14回も参照)は10歳から12歳の時に弟のフランチェスコとともに画家になるために、ジョヴァンニ・ベリーニ(Giovanni Bellini, 1430/35~1516)のもとで修業を始めました。当時ベリーニはヴェネツィアにおける有数の画家でした。ティツィアーノはこのアトリエで、パルマ・イル・ヴェッキオ(Palma il Vecchio, 1480頃~1528)、ロレンツォ・ロット(Lorenzo Lotto, 1480頃~1556)、セバスティアーノ・デル・ピオン(Sebastiano del Piombo, 1485年頃~1547)、そしてジョルジョーネ(Giorgione, 1476/78~1510)という、その後ヴェネツィア派を代表する画家となる人々に出会い、切磋琢磨することになりました。
そして、ティツィアーノがヴェネツィアの人々に知られるようになったのは、1516~17年にサンタ・マリア・グロリオーザ・ディ・フラーリ聖堂に描いた7メートルにも達する『聖母被昇天』(図1)でした。この絵によってティツィアーノの名声は一気に高まり、知られることになりました。今回紹介する『聖母子と聖人たち、そしてペザーロ家の人々』(図2)は、『聖母被昇天』が飾られているのと同じサンタ・マリア・グロリオーザ・ディ・フラーリ聖堂の中に置かれています。ペザーロ家はヴェネツィアの有力者の一族で、この聖堂にペザーロ家の礼拝堂があり、そこにこの絵を飾ったのです。
【鑑賞のポイント】
(1)祭壇の後方にある壁にアーチ状の空間を描き、そこに聖母子と聖人たちを配置しており、「聖なる会話」のスタイルをとっていますが、右側の聖人、これはアッシジのフランシスコです。フランシスコは幼子イエスに顔を向けながら、左手を伸ばし、ペザーロ家の人々を紹介しています。フランシスコの右手が示す人物は赤いマントを羽織っており、ペザーロ家の当主であることがわかります。
(2)もう一人の聖人は聖母子の足下に座っており、書物のようなものを開いています。これはペトロです。その足下には鍵が置かれています。つまりペトロは天国の門番の役割をしており、この人が天国に入るのにふさわしい人か、名簿にこの人の名前があるかを調べているように見えます。
(3)ペトロの右側には大きな赤い旗を持っている人物が描かれています。その旗には教皇の三重冠と紋章が描かれており、このペザーロ家ゆかりの教皇アレルサンデル6世(在位年1492~1503)が暗示されています。この旗の旗竿の先端にはオリーブの葉のようなものが飾られているところも興味深いと思います。
(4)その旗を持っている人物はイスラム的な風俗(ターバン)をしている人物と向き合っています。当時のヴェネツィアはオスマン・トルコと制海権を争っていたことが描かれているのでしょう。
(5)聖母子の頭上にはふくよかな体をした幼い天使たちが描かれています。