「感謝の典礼」に入ろう
問次郎……答五郎さん、お久しぶりです。
答五郎……おお、問次郎くん、久しぶり。どうしていた?
問次郎……いやあ、答五郎さん、「ことばの典礼」を扱っている間、後ろで聞いていたではないですか。美沙も一緒でしたよ。話していたのは瑠太郎くんと、聖子さんでしたけれど。
答五郎……ああ、そうだったね。美沙さんもどうも。それに、瑠太郎くんと聖子さんも後ろにいてくれるのだね。でも、「感謝の典礼」に関しては、おもに問次郎くんと美沙さんと語り合いながら、一緒に研究していくことにするね。
美沙……よろしくお願いします。まず「感謝の典礼」という名前についてお聞きしたいです。
答五郎……そうだね。「感謝の典礼」というのは、ミサの式次第の区分でいえば3番目。「開祭」「ことばの典礼」、そして「感謝の典礼」、最後に「閉祭」とくる。「開祭」と「閉祭」が対応しているように、「ことばの典礼」と「感謝の典礼」は対応し合っているともいえる。
問次郎……でも、なぜ、ミサの中で「感謝」ということがとくに言われるのでしょうか。
答五郎……たしかにね。感謝することは一般的なことだよね。ここで特に「感謝の典礼」というのはどうしてかということだね。元の言葉がヒントになる。ここでは「エウカリスティア」だ。ラテン語でもそのまま使われているが、ギリシア語だよ。キリスト教にとって、とても重要な言葉なのだけれど、聞いたことは。
問次郎……最近の本の中で、ときどき目にする気がします。
答五郎……そう、簡単に訳せない面もあるから、最近は片仮名で「エウカリスティア」と書かれることも多いかもしれないな。ところで、「感謝の祭儀」ということばを聞いたことはないかな。
美沙……ミサの最後のほうで、司祭が「感謝の祭儀を終わります。行きましょう。主の平和のうちに」というときのことばですね。
答五郎……そう。ここではミサ全体が「感謝の祭儀」といわれている。ただ「エウカリスティア」は第一には「感謝」の意味なのだけれど、それだけでは尽きない意味がある深いことばなのだよ。その意味深さを知ることが「感謝の典礼」の部を探究する一つの目的になるほどだよ。
問次郎……さっそくわからなくなりました。「感謝の祭儀」と「感謝の典礼」とは同じなのですか、違うのですか。
答五郎……簡単にいえば、「感謝の祭儀」はミサ全体、「感謝の典礼」ははじめにいったように式次第の区分の3番目を指す言葉だ。でも、ミサ全体の名もほとんど同じになるわけだから「感謝の典礼」の部分がミサの肝心なところであり、核心をなしているということは想像がつくだろう。
美沙……感謝、というかエウカリスティアが重要なのですね。どのように理解していったらいいのでしょうか。
答五郎……実は、手がかりはやはり聖書なのだよ。そして、ほんとうに深く知るためには、旧約聖書の律法の中で献げ物に関するところ、たとえばレビ記などが記している律法や、詩編の中の神を賛美したり、神に感謝をしたりするところとかがやはり大切な背景になってくる。
問次郎……旧約聖書まで探っていくとなると、大変ですね。一朝一夕にはいきません。
答五郎……でも、一日一日、少しずつでも読んでいかないとね。旧約聖書はそうやって親しんでいくと、新約聖書全体、そして教会が行っている典礼の理解も深まるというものだ。
美沙……ええ、もちろんそれはそれで頑張ってみたいと思いますが、それでも、わかりやすく教えていただきたいのも、本音です。
答五郎……そこまで丁寧に求められたら、わかりやすい理解のしかたも考えてみなくてはね。実際、教会の歴史の中でエウカリスティア、つまり「感謝」という意味のギリシア語が典礼自体や典礼での祈りについて使われていたらしいのは2世紀といわれている。
問次郎……そんなに古いのですか。
答五郎……そうなんだ。2世紀初めか前半の文書とされている『十二使徒の教え』や2世紀半ばのユスティノスの『第一弁明』、これについては「ことばの典礼」の研究のときにもなんども触れただろう、それらの中で感謝の典礼の初期の祈り方や行われ方が伝えられているのだけれど、ともかく「エウカリスティア」という言葉がキーワードになっているのだよ。
美沙……そうですか。すると、今、日本の教会で「感謝の祭儀」とか「感謝の典礼」という言い方をしているのは、そのような初期の言葉遣いにならおうとしているからなのですね。
答五郎……そうだと思うよ。また『ローマ・ミサ典礼書』のラテン語の言葉遣いに倣っているだけなのだけれど、それでも、「感謝」という意味をクローズアップさせたのは大きかったと思う。「感謝」はなんといっても、ミサの祈りの基本だからね。
美沙……ミサは神の恵みに対する感謝の祭儀で、その中心が「感謝の典礼」にあるのですね。
(企画・構成 石井祥裕/典礼神学者)