パラクレートス(助け主)である聖霊


聖霊とはなにか、とてもわかりにくいとされている。そもそも「聖霊とはなにか?」という問いかけにクレームがきそうである。「聖霊は人格(ペルソナ)だからなにかではなくてだれかではないか」と。ま、そうカタイこといわずによんでほしい。

そんななかで最もわかりやすく説明されているのが、聖霊降臨の日曜ミサのなかで歌われる「聖霊の続唱」ではないかと思う。

 

エル・グレコ『聖霊降臨』(1605-1610年頃、プラド美術館、マドリッド)

聖霊の続唱

聖霊来てください。あなたの光の輝きで、

わたしたちを照らしてください。

貧しい人の父、心の光、証の力を注ぐ方。

やさしい心の友、さわやかな憩い、ゆるぐことのないよりどころ。

苦しむ時の励まし、暑さの安らい、憂いの時の慰め。

恵み溢れる光、信じる者の心を満たす光よ。

あなたの助けがなければ、すべてははかなく消えてゆき、

だれも清く生きてはゆけない。

汚れたものを清め、すさみをうるおし、受けた痛手をいやす方。

固い心を和らげ、冷たさを温め、乱れた心を正す方。

あなたのことばを信じてより頼む者に、尊い力を授ける方。

あなたはわたしの支え、恵みの力で、救いの道を歩み続け、

終わりなく喜ぶことができますように。

アーメン。

 

これを読んでどんな感じであろうか? すこしはぴんときただろうか?

確かにこれを読むとこんな存在があったらいいなと思わせるものである。これを素直に信じることができたらどれほど「尊い力を授かって」心強いことか。

こころに直接働きかける存在、コミュニケーションを助ける存在、感情を動かす存在…..

聖霊のことを最もよく語っているのはヨハネである。

 

「しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。」(ヨハネ14章26節)

 

この中の「助け主」という言葉のギリシャ語が「パラクレートス」であるが、これがおもしろいことに翻訳によって「弁護者」「いやし主」「なぐさめ主」だったりする。

ま、そのすべてが正しいのであろう。「聖霊の続唱」で歌われていることと一致するではないか。

土屋至(元清泉女子大学「宗教科教育法」講師、SIGNIS JAPAN(カトリックメディア協議会)会長)

 


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