酒は皆さんとともに

ドゥシャス・デ・ブルゴーニュ


前回の「酒は皆さんとともに」では、神聖ローマ皇帝カール5世の名を冠したベルギービールを取り上げました。今回は、そのカール5世のおばあちゃんであるブルゴーニュ女公爵マリーから名前をとられたベルギービール「」を紹介します。

中世末期、現在のベネルクス三国(ベルギー、オランダ、ルクセンブルク)とフランス東部にまたがって広がっていたブルゴーニュ公爵領は、当時のヨーロッパでも屈指の豊かな地域でした。ブルグント族の名に由来するこの地は、交通の要衝という地の利を生かして商業で大いに栄え、その富は芸術の発展にも注がれました。音楽がお好きな方なら、ブルゴーニュ楽派やフランドル楽派の名を耳にしたことがあるかもしれません。絵画でいえば、ファン・エイクらに代表されるフランドル派の作品が思い浮かぶでしょう。15世紀のブルゴーニュは、経済だけでなく文化の面でも、北方ルネサンスを牽引する華やかな中心地だったのです。

1467年に公爵となったシャルル大胆公は、この繁栄をさらに強固なものにしようとします。娘マリーを、神聖ローマ皇帝フリードリヒ3世の子マクシミリアンと結婚させたのです。後に皇帝となるマクシミリアンとの縁組は、ブルゴーニュにとって大きな後ろ盾となるはずでした。しかし、1477年、シャルル大胆公はフランスとの戦いの中で命を落とします。男子の後継者がいなかったため、栄華を誇ったブルゴーニュ公爵領は一転して不安定な立場に置かれることになりました。

大胆公シャルルの娘マリーは、女性が人の上に立つのが一般的ではなかった時代に、ヨーロッパで最も豊かな土地を継承しました。ブルゴーニュ女公爵となったマリーは、蜘蛛王と綽名される狡猾なルイ11世の治めるフランスと義父が治める神聖ローマ帝国という大国に故郷が引き裂かれるのを目の当たりにしました。そして1482年、マリーは落馬事故により命を落としてしまいます。

公爵家が断絶したブルゴーニュは、フランスと神聖ローマ帝国の戦場と化し、結果的に領土は両国によって分けられることとなりました。ハプスブルク家はネーデルラント17州を領有することとなり、その土地はマリーの息子フィリップにより統治されることとなりました。そしてそのフィリップは、スペイン女王フアナと結婚し、息子カールを儲けました。このカールが前回紹介したカール5世ということになります。

激動の時代に生きたブルゴーニュ女公爵マリーがラベルに描かれたビール「ドゥシャス・デ・ブルゴーニュ」は、その人生を想起させるような酸味のある香りが特徴です。ですが、一口飲んでみると酸味の中にもフルーティな甘さが感じられ、かつてのブルゴーニュの豊かな時代を感じることもできるでしょう。

石川雄一 (教会史家)


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