山田真人
今までこの連載では、教会が社会と向き合い、経済の流れを使用しながら、福音の体現としてBusinessを実践していくという様々な分野の「横の繫がり」をみてきました。著者自身は、幼児洗礼を受けて小学校はカトリック学校に通い、主体的にキリスト教のことを考えるようになったのは小学校3年生の頃でした。そのきっかけになったのは、具体的な典礼の活動で動きを伴い組織的な役割を持つ侍者を体験したことでした。
今回の記事では、その「横に繋げる」という社会的応用力、また実践神学的にも深まりを見つけることができ、さらに教育現場にもヒントになる要素が隠れている侍者という役割について触れていきます。以下の文章は、著者がカトリック赤羽教会で儀式長、侍者長をしていた時のメンバーで、現在大学で考古学を専攻する大学生に書いて頂きました。是非、お楽しみいただければ幸いです。
みなさん、考古学を知っていますか。考古学と聞くと、おそらく、ピラミッドやアドベンチャー映画を思い浮かべたと思います。中には恐竜を想像した人もいるでしょうか。
考古学を簡単に説明すると、「人の活動した痕跡である遺跡や遺物などの物質から、当時の暮らしや習慣などを復元する学問」です。キーになるのは、人が関わっているかどうか。なので、実は恐竜や化石は考古学ではありません。
考古学は人が関わる古いものを研究するので、昔の文明や遺物を調べているだけだと思われることもあります。もちろんそれも大事なことですが、考古学の意義として、私はもう一つあると考えています。
それは、「古いものが新しいものにつながる」ということです。「温故知新」に近いかもしれません。私は現在、大学で考古学の研究をしています。専門は縄文時代、1万6500年前からある、長い日本の一時代です。縄文時代というと、毛皮を着て野山を渡り歩いて暮らしているような印象を受けるでしょう。しかし、実際のところは違うのです。
当時からもちろん言語もありますし、大規模な集落を形成していました。定住して、木の栽培や道具の量産を行い、縄文時代の終わり頃には稲作も始まっていたと言われています。脳の構造も現在の我々と全く同じで、アニミズム段階ですが、「畏れ敬うこと」を知っていました。いわば、発展の段階が初期であるだけで、現代を生きる我々と何ら変わりがないと言えるのです。
最近、そんな考古学と侍者の経験で似ていると思ったことがあります。侍者とは祭壇奉仕者のことで、ミサにおいて神様と人に奉仕します。実際に私も侍者をやっている当時は色々と考えながら頑張っていました。私は赤羽教会に所属しているのですが、以前別の教会に侍者をしに行ったとき、細かい違いがあることに気付きました。例えば、そちらでは侍者は皆大きな十字架をさげるなど、赤羽教会のみで侍者をしていた私は驚かされることがたくさんありました。
考古学の手法として、型式変化を見るというものがあります。例えば土器では、装飾の部分が使いやすいように小さくなっていくだとか、逆に時代の盛り上がりと共に派手になっていく、などです。その変化で時代を特定するのですが、これは侍者や教会、ひいては我々の生活にも関係してくると思うのです。
今の世代の考え方の変化などもあって、これから教会は、より横のつながりや交流を意識しなければいけないと思います。侍者のルーツが同じであっても、場所や取り仕切る人、時代、そういった要素で大きく変わってきます。変わらないものもありますが、やはり変わっていく部分もあります。
縄文時代は、東北と関西、千葉と中部のやり取りなどが多く見つかります。いくつかの集落が集まって祭祀を行う遺跡もあります。「地域的な交わりとしての教会」に近い考え方が縄文時代からあったのです。また一方で、同じ集落の中でも、麻痺の子どもを成長するまで育てた例や、学校のように技術を教える場所があった可能性もわかっています。
いわば考古学は、「人間とは何か」を考える学問です。我々は、古い時代の在り方を見て、むしろ今こそ、どうあるべきかを考える必要があるのではないでしょうか。
ここまで見てくると、「温故知新」としての考古学の手法は、まさに教会のシノドス的な発展に対して、大きなヒントを与えてくれると思います。社会は常に変化しますが、その中で教会という伝統がどのようにそれを受容し変わっていくべきかを考え、その軌跡をたどりながら、教会が伝統を保持し、若さを保つことができるのではないでしょうか。
(青年司牧とシノドスについては、こちらもご覧ください)
山田 真人(やまだ・まこと)
NPO法人せいぼ理事長。
英国企業Mobell Communications Limited所属。
2018年から寄付型コーヒーサイトWarm Hearts Coffee Clubを開始し、2020年より運営パートナーとしてカトリック学校との提携を実施。
2020年からは教皇庁いのち・信徒・家庭省のInternational Youth Advisary Bodyの一員として活動。