「神は一つだ。信じ方がちがうだけだ」―あるロシア人の宗教観―


清水 真伍

上智大学の外国語学部ロシア語学科を卒業後、私は水産商社に就職し、ロシアからのサケやイクラ、カニの輸入業務を担当した。入社二年目、私は商談や商品サンプルの検品のためサケ漁のシーズンである7月から8月にかけて極東ロシアのウラジオストク、ハバロフスク、カムチャッカに滞在した。カムチャッカでは安ホテルの庭で船の入港を待つ水夫たちと商品サンプルのイクラを肴に夜通しウォッカを仰いだのが良い思い出だが、この二カ月弱のロシア滞在中には宗教的な出会いも多くあった。

ロシアの独立世論調査組織レヴァダ・センターの2012年の調査によると、ロシアにおける宗教の割合は正教会が74%、無神論が15%、イスラム教が7%、カトリック、プロテスタント、ユダヤ教が1%、仏教、ヒンドゥー教が1%以下となっている。正教が圧倒的多数を占めているのは事実だが、これは地域ごとに見るとかなり異なった様相を呈する。たとえば、ロシア連邦内のダゲスタン共和国では95%がイスラム教徒、北オセチア共和国ではキリスト教徒は半分程度である。また正教徒も一枚岩ではなく、17世紀の総主教ニーコンの奉神礼(典礼)改革に反発し離反した「古儀式派(スタロヴェールィ)」や「分離派(ラスコーリニキ)」と呼ばれる人々が現在でも100万人単位でいる。さらにソ連崩壊に伴う共産主義体制の終焉と信教の自由化に乗じた諸外国の宗教の流入も見られ、1992年にオウム真理教がモスクワに支部を開設し多くの信者を獲得した話は有名である。

このようにロシアには多様な宗教が共存しているが、それは極東ロシアの街ウラジオストクにおいても一目瞭然である。第一に目につくのは肌の浅黒い人々である。彼らの多くは旧ソ連のウズベキスタンなどからの出稼ぎ労働者だが、彼らの中には熱心なムスリムも多くいる。私が滞在したホテルの近くの小さなスーパーで働いていた少年はウズベク人でムスリムだった。彼や彼のウズベク人の仲間たちとはシーシャバーなどによく繰り出した。彼らは一見すると不良少年だったが、同時に敬虔なムスリムでもあり、酒には一切手をつけなかった。

いわゆる非伝統宗教の「礼拝」にも出くわした。ある休日の朝、ホテルのホールでディスコのように踊り狂う人々がいた。警備員にこれは何かと聞くと「礼拝だ」と言う。奇妙な礼拝だなと思いつつ外でタバコを吸っていると「礼拝」終わりの人々が出て来た。その中にいた老婆が「ロシア語は分かるか」と話しかけてくる。「分かる」と答えると「神からいただいた身体を害するようなことをしてはいけない」と言い、熱心に神の偉大さについて語り出し彼らの礼拝に勧誘してきた。のちに知り合いのロシア人に聞いたところによると、これはヒンドゥー教の神クリシュナを崇めるクリシュナ意識国際協会というインド発祥の新興宗教であった。

このようにウラジオストクでは様々な宗教との出会いがあったが、私にとって最も印象深かったのはタクシードライバーのヴィクトルとの出会いである。彼は私がたまたま乗ったタクシーの運転手だったが、日本から来た私を珍しがり、休日には街を案内し、家にも招待してくれた。私が出張でウラジオストクに行くときには毎回空港まで出迎えてくれた。

ヴィクトルは正教徒で、彼のタクシーにはウラジミルの聖母の小さなイコンがお守りのように掛けられていた。あるときヴィクトルは「教会を見せてやる」と私を街の中心にあるポクロフスキー教会に連れて行ってくれた。彼は教会の入り口でろうそくを二本買い、一本を私にくれ、火を灯してイコンの前の燭台に立てる様子を見せ、同じようにするよう私に促した。彼はまた十字架の描き方を教えてくれた(正教会では「十字を描く」と言い、順番は上から下、右から左である)。彼は私に日本の宗教について尋ねた。私は仏教や神道についてキリスト教との違いを挙げながら説明した。すると彼は言った。

「神は一つだ。信じ方がちがうだけだ。(Бог один, только веры разные)」

そして彼は信仰のちがいなど取るに足らないことであり、信仰のちがいを越えて私たちが友人でいることのできる素晴らしさを説いた。イスラム教的に言えば同じ「啓典の民」となるキリスト教、ユダヤ教、イスラム教はともかく、ともすれば仏教や神道もキリスト教と同様の神を信じているとすることになりかねない点には疑問を覚えるが、問題は信仰のちがいを取るに足らないこととするヴィクトルの寛容な宗教観にある。

ヴィクトルの言葉をロシア語で検索すると「神は一つなのに、なぜ宗教はたくさんあるのか(Бог один, а почему религий так много?)」という問いが検索結果として多く表示される。これはロシア人に限らず何かしらの信仰を持つ人間なら一度はぶつかる問題だろう(一神教ならなおさらである)。これはまだカトリックの洗礼を受ける前だった私自身、当時、キリストの教えに惹かれながら同時に頭を悩ませていた問題でもあった。

ヴィクトルは「神は一つだが、信じ方はたくさんある」という事実を、「神は一つなのに、なぜ宗教はたくさんあるのか」という一つの「問い」としてではなく、「神は一つだ。信じ方がちがうだけだ」という一つの「答え」として提出した。私はヴィクトルの言葉の宗教的寛容に心を打たれた。なるほど、同じ神を信じる者同士が信じ方のちがいによって憎み合うのでは本末転倒ではないか。

もちろん信仰のちがいはちっぽけな問題ではない。信じ方の違いが宗派のちがい、宗教のちがいとして数多くの宗教戦争を引き起こしてきたのは事実である。ロシアでも総主教ニーコンの典礼改革は正教徒の大分裂と迫害、弾圧を招いた。しかし信じ方のちがいが凄惨な争いを生んできた歴史があるからこそ、現代に生きる私たちは信じ方のちがいを乗り越えて、同じ神を信じる者同士として尊重し合うことが必要なのではないだろうか。

ロシアとウクライナの対立は長年、正教世界にも激しい対立を生んできた。正教会は伝統的に地方自治を旨とするが、ウクライナはソ連崩壊時から自国の独立の象徴として同国の正教会をウクライナ正教会としてロシア正教会から独立させようとしてきた。一方、ロシアはウクライナ正教会の独立を認めず、宗教的一体性を維持することでウクライナに対する政治的影響力を保とうとしてきた。一方は宗教を盾に独立を主張し、一方は宗教を笠に着て他者の主権を侵害するが、ここでは宗教が対立の道具とされている。筆者はウクライナの主権は断固として支持するが、双方とも教会のちがいを自分と他者を隔てるものと考えている点では同じである。2022年2月24日にロシアによるウクライナ侵攻が始まり激しい戦闘がつづく今日、政治的、軍事的利害関係において対立する人々が同じ神を信じる者同士として互いを真に平等な兄弟として尊重し合えることを、ヴィクトルの宗教的寛容に貫かれた素朴な言葉を思い起こしながら私は祈る。

 


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