闇に葬られたビキニ水爆実験の真相に迫る『放射能を浴びたX年後』から3年。高知県室戸市を中心に、各地で継続取材が行われ『X年後2』が生まれた。『X年後』『X年後2』に懸ける思いとはなにか。日本テレビのなかにある南海放送で伊東英朗監督にお話を伺いました。
(聞き手:編集部 鵜飼清)
歴史的大事件が、記憶から消えてしまうことがある。消えてしまうとすれば、それは忘れるようにされているのか、忘れてしまったのか、忘れようとしているのか。事実は隠れて存在していても、表面には出てこないことがある。
戦後すぐの1946年から1962年まで、アメリカが行った太平洋核実験による被ばくの実態もその1つといえよう。そこへスポットを当てた『X年後』が生まれるきっかけはなんだったのか。
「TV番組をつくるために、ネット検索で取材の準備をしていました。そのときにあるホームページに目が留まったのです。それは高知県籍の船が多数被ばくしているというものでした。ぼくは第五福竜丸のことは知っていましたが、ほかにも多くの船が被ばくしていることにびっくりしたのです。ビキニ事件の被害者は、第五福竜丸1隻と乗組員だけだと思い込んでいました」
伊東監督は、ホームページでビキニ事件の報告をしている元高校教師の山下正寿さんに会いに行くことにした。
「山下さんは、教え子たちとビキニ事件を調査していました。高知県内の沿岸部で3年間、被災者の聞き取りを行っています。900隻以上の船の乗組員が被災しながら、この事実を認められることもなく亡くなったり、後遺症で苦しんでいるという事実を掘り起こしていたのです。山下さんから、ぼく自身が漁師たちに会って話を聞きなさいと言われました」
130人から140人の漁師に会い、インタビューが収録されていった。映画には火葬場で漁師の骨が小さくてゴチャゴチャだったことや、遺体に触ると燃えるように熱かったことなどが語られる。被ばくしたからであろうことは、それぞれの語りのなかに読み取れる。
『X年後』は公開後に反響があり、自主上映が行われていった。そうしたなかから『X年後2』が生まれることになる。『X年後2』では、漁師だった父親がなぜ死んだのかを追求する川口美砂さんが描かれる。
「故郷の室戸で『X年後』を観た川口美砂さんは、父親が36歳で急逝したことに疑問を感じたのです。美砂さんが小学6年生のときで、周りからは『酒の飲み過ぎで早死にした』と言われていました。しかし、『父の死に、半世紀前の太平洋核実験が関係したかもしれない』と思われたそうです」
美砂さんは、上映会を主催していた元漁労長の山田勝利さんの協力を得ながら、元乗組員や遺族たちに会って話を聞いていく。
「ぼくが驚いたのは、地元の人が山田さんや美砂さんに話をしているときと、ぼくに話をしているときとがまったくちがうということでした。美砂さんには、『ああ、美砂ちゃんが来たのか』って話をする。今年の正月から、ぼくの知らない話がたくさん出てきています。なぜ話さないかというと、厳しい箝口令が敷かれていたからなんです」
魚が被ばくしたことが知れ渡れば、魚が売れなくなる。そうすれば室戸の経済が成り立たない。漁に関わるすべての人たちの生活に影響するから、必然的に箝口令が敷かれてしまうのだという。
「いまは、室戸の乗組員たちが劇的に変わってきています。語ってはいけないと半世紀にわたって黙ってきたことが、語られはじめています。ぼくが一番つらいのは、被ばくしたことを忘れるということです。経済を考えれば忘れましょう、忘れたいということになります。ビキニ事件のときは、1954年に核実験があって、10年後に東京オリンピックがある。あれだけ被ばくした船があったり、日本の国土に放射能雨が降ったということは、当時の新聞には何年間も書かれていました。その記録が飛んでなくなってしまうのです。ぼくも含めて、みなが第五福竜丸だけだと思ってしまう。しかし、忘れようとしても、着実に身体は放射能で蝕まれているのです」
『X年後2』には、室戸出身の漫画家・和気一作さんも登場している。幼馴染である美砂さんとの出会いから、伊東監督の著書『放射線を浴びたX年後』がきっかけとなって、マグロ漁師だった父親の死と対峙するようになる。『おんちゃん』という作品には、46歳で亡くなった父親への追悼の思いが込められている。映画では、被ばくした父親への思いを滲ませる和気さんの姿が映し出されている。
伊東監督の視点で特徴的なのが、科学的立証を試みていることだ。『X年後2』では、1950年代に高い放射能物質が測定された沖縄5か所・京都府2か所・山形県2か所を訪れている。民家の床板を外して、半世紀ぶりに現れた土壌を調べる。
「放射線防護学の専門家である野口邦和先生と一緒に土壌を集めました。土壌が汚染されているということは、いままでタブーだったんです。とんでもない風評被害につながるからです。福島第一原発の事故があってから言えるようになりました。科学的究明をしていかないと、いつまで経っても、着地点がはっきりしないことになります。福島のことだって、原発に賛成する人に説明してもなかなか分かってもらえない。そういうことからも、ビキニ事件を解明するのが近道だと思っています」
敗戦後の日本は「タンパク質は魚から、燃料は石炭から」の時代だった。国がモットーとする2本柱の1つが魚だったから、汚染された魚は隠されて市場に流れた。そして、燃料の方は徐々に原子力の平和利用にかじを取ることになる。放射能のことも、触れられ難くなっていく。
「そこをきちんと整理して伝えたいのです。たとえば記憶が消えたということ、何で消えたのかってことを、整合性を持って話したいのです。政府がどのように考え、どういうように動いたのか。メディアはそのときどうしたのかっていうことです。しっかりと精査していきたいですね」
ドキュメンタリー映画は1本、2本つくることで終わりではないと伊東監督は言う。
「ぼくは、映画に興味を持ってもらうのではなく、事件に興味を持ってもらいたいのです。何も知らずに死んでいった人たちの仇討ちだと思って映画を撮りました。被ばくした人たちに対する保証と謝罪を必ず実現したいと思います」
『X年後』とはなにか聞いてみた。
「まさに5年後か100年後か1000年後か分からない、それをX年後にたとえています。その後になにが起きるのかっていうことです。ビキニ事件のX年後もあるし、福島第一原発事故のX年後もあります。ビキニと福島って酷似しています。同じX年後にならないようにしてもらいたいという気持ちを込めています。X年後にみんなが死んでから、誰かが調べてこんなことがありましたといってもしようがない。いまできることをやらなければいけないと思います」
ぼくはジャーナリストではないという伊東監督に、孤軍奮闘しながら事件に向かう、誠実な人間の佇まいを感じた。
(※このインタビューは、2015年に行われました)
伊東英朗(いとう・ひであき)
1960年愛媛県生まれ。16年間公立幼稚園で先生を経験後、テレビの世界に入る。東京で番組制作を経験した後、2002年から地元ローカル放送局南海放送で情報番組などの制作の傍ら、地域に根ざしたテーマでドキュメント制作を始める。2004年ビキニ事件に出会い、以来、8年に渡り取材を続け、2012年『放射線を浴びたX年後』を完成。「地方の時代映像祭グランプリ」「民間放送連盟賞 優秀賞」「早稲田ジャーナリズム大賞」など多数受賞。同名書籍も刊行される。