第5章 地道なはたらきかけ Slow Work


本連載は、イエズス会のグレゴリー・ボイル(Gregory Boyle)神父(1954年生まれ)が、1988年にロサンゼルスにて創設し、現在も活動中のストリートギャング出身の若者向け更生・リハビリ支援団体「ホームボーイ産業」(Homeboy Industries)(ホームページ:https://homeboyindustries.org/)での体験談を記した本の一部翻訳です。「背負う過去や傷に関係なく、人はありのままで愛されている」というメッセージがインスピレーションの源となれば幸いです。

 

ギャング出身*の親しい仲間たちにささげる(*訳注:「ギャング」とは、低所得者向け公営住宅地等を拠点に、市街地の路上等で活動する集団であるストリートギャングを指します。黒人や移民のラテン・アメリカ系が主な構成員です。)

 

グレゴリー・ボイルGregory Boyle(イエズス会神父)

訳者 anita

 

 自分にとって試金石となった体験は、私の休み明け間もなく起きました。今は私のケースマネジャーとして働いているペドロは、当時、深酒と高純度のコカイン摂取の下に大量の怒りと恨みを抱えた問題児でした。ペドロは、ギャング出身者たちの中で最も穏やかで心優しい子ですが、やがて自分の薬物乱用の暗黒世界へと消えてしまいました。彼は、私たち全員を見捨てたことすら気づいていないようでした。毎日、私は彼に会ってリハビリを勧めました。そして毎回、彼は、身構えることなく、穏やかに愛想よく断るのでした。

 「ああ、ありがとうG(ジー)。でもオレ、大丈夫だから」

 あきらめずに頼み続けると、時には「何があろうとも、一緒にいる」の姿勢が勝利を収めることがあります。ペドロの場合はそうでした。私は、ロサンゼルス北部のリハビリ施設まで彼を車で連れていき、彼は、自分自身へと立ち返るために、長きにわたる、困難で(ゆっくりとした地道な)歩みを始めました。

 彼がリハビリ施設に滞在し始めてから30日経過後、ペドロの弟のホーバンは、同じような悪魔に取りつかれて同じく薬物依存状態だった中、仲間たちが通常、絶対にやらないことをやりました。彼は、自分の頭に銃を突きつけて自分の苦しみに終わりを告げたのです。ギャング出身の子たちは普通、最悪の事態に陥った場合、自分の身を危険にさらすことにします。つまり、敵の陣地にふらりと乗り込むのです。ギャング活動こそ、彼らの自殺手段です。「ミッションに赴く」(敵地に足を踏みいれる)狙撃者は、人を殺したいのではなく、自分の死に場所を求めてこれを実行するのです。そのため、ホーバンの仲間たちは、終着点は同じですが、危険とのスローダンスを一気に飛び越えたこのような直接的な新しい自殺方法になじみがありませんでした。

 私がペドロに電話すると、彼はもちろん大きなショックを受けます。しかし、彼は30日間、しらふ状態を保っているため、自分の中核部分に痛みを受け入れ、どこか遠くの中間点に痛みを押しとどめておくことを許しません。彼は、悲しみを全面的に受け入れますが、これは彼にとって初めての体験です。私は、葬式のために彼を迎えに行く日にちを決め、葬儀直後に彼を施設まで再び車で送ることを強調しました。

 「もちろんだよ、G(ジー)。オレもここに戻りたい」

 私は、山頂を目指して登りますが、いつものとおり、そしてとりわけ今回のように巨大な喪失に同伴する力が自分に足りないことを痛感します。

 米国詩人のエミリー・ディキンソンは、「希望とは、魂の中の止まり木にとまる、羽の生えた何かで、歌詞をつけずにずっと歌い続ける」と書いています。

 私は、ただ自分の姿を見せること、そして歌詞をつけずに歌うことに意義があると信じるようになりました。とはいえ、私は、他者が抱えている痛みと共にとどまるたびに、私個人が今まで抱えなければならなかった重荷よりもはるかに大きい重荷の大きさそのものにあぜんとしながら、畏敬をもって一緒に立つ以外の能がないという事実にやりきれない思いがします。

 ペドロは、表で私を待っています。私たちはハグしてあいさつし、最小限の言葉を交わします。それから2人で車に乗り込みました。「何を言うべきか」という私の不安は、前夜見た夢について話したいと言うペドロの意気込みによってかき消されました。

 「強烈な体験だったぜ、G(ジー)。昨夜、夢を見たんだ。あんたも出てきたよ」

 夢の中では、ペドロと私は2人きりで、がらんどうの大部屋の中にいます。電気もなく、出口の誘導灯もなく、扉の下のすき間からも一切光はもれてきていません。窓もなく、光もありません。彼は、私が一緒にいることを感じていますが、お互い口を開きません。この真っ暗闇の静けさの中で、私がにわかに懐中電灯をポケットから取り出してボタンを押します。すると、壁にある電気のスイッチを照らし出します。私は何もしゃべりません。私は、懐中電灯の光をまっすぐ、揺らぐことなくスイッチに向けています。ペドロは、何も言葉を交わしていないものの、この電気のスイッチをつけられるのは自分だけだ、と分かっています。彼は、懐中電灯をちょうど持っていた私にお礼を言います。彼は、ためらいがちに、懐中電灯の光線をたどって電気のスイッチへと向かいます。スイッチの前に着くと、深呼吸を一つしてからカチッとつけました。すると部屋は光でいっぱいになりました。

 夢について語っているこの段階で、彼は泣いていました。そして驚きの発見をした声で、こう言いました。「そんで…光は…暗闇よりも…いいんだ」

 まるで彼は、今までこのことを知らなかったかのようです。彼は泣くあまり、話し続けることができません。その後、彼は、「きっと…弟は…電気のスイッチを見つけられなかったんだな」と言いました。懐中電灯を持ち合わせ、それをどこに当てるべきかを時に知っていることで十分なはずです。幸いにも、誰も誰かを救うことなどできません。しかし、私たちは皆、この窓なしの暗い部屋の中におり、恵みと懐中電灯を手探りで探します。今回は君が光を照らしてくれるかい、私が次回照らすから、という具合にです。

 神のゆっくりとした地道なはたらきかけ。

 そして私たちは、この光を、希望して待つのです。この目覚ましい大いなる光を。

 

TATTOOS ON THE HEART by Gregory Boyle

Copyright © 2010 by Gregory Boyle

Permission from McCormick Literary arranged through The English Agency (Japan) Ltd.

本翻訳は、著者の許可を得て公開するものですが、暫定版です。

 


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