中村恵里香(ライター)
小学生の頃、日曜学校でシスターから「イエス様はいつでも皆さんを見ていて、常に私たちを愛してくださっています。ですから皆さんもイエス様を愛し、イエス様に恥ずかしくない行いをしましょう」といわれたことがありました。その前後の話は全く覚えていないのですが、イエス様は私たちを愛してくださるという言葉にすごく引っかかりました。愛してくださるというはどういうことなのだろう。私たちがイエス様を愛するというのはどういうことをすることなのだろうということです。
当時、教会にいらっしゃった神父様はイタリア人で、朝のご挨拶は「おはようございます。元気ですか。愛してますよ」でした。愛するって何だろう? 好きとどう違うのか、幼いながらに疑問に思い、神父様に聞きました。「愛しているというのは、ただの好きではなく、大、大大好きということです」と教えられました。私の頭は?????という状態でした。
愛とは何かは私の中でずっとひとつのテーマになっていました。今、映画紹介する記事を書くことが多くなってきた私にふと気になることが出てきました。映画の中には愛があふれているのです。映画で伝えたいことはなんだろうと考えてみると、そこにはさまざまな愛の形が描かれていることに気がつきました。
最近ご紹介した映画の中からいくつかピックアップすると、今年のアカデミー賞受賞作「CODA あいのうた」では、家族に対する愛が描かれています。
また、今年2月にご紹介した「ボブという名の猫2」ではペットの猫、ボブと共に、周囲にいる人たちへの愛、「クレッシェンド」という映画には音楽に対する愛、「君といた108日」は愛する人を失い、神に対する愛を認識するというものでした。また、「オードリー・ヘプバーン」では、一人の愛を求め続けた女性の物語でした。
一つひとつをあげれば切りがないほど愛があふれています。
映画だけではないかもしれません。人が生きる上で必要不可欠なものが愛ではないかと考えるようになりました。街の中にも何気なくしていることが愛の表れということがあるかもしれません。あなたの周りにある愛の形を探してみてはいかがでしょうか。