『現代ギリシア詞華集: ギリシア国家文学賞受賞詩人作品集』福田耕佑訳、竹林館、2025年、3,850円。
新約聖書はギリシア語で書かれ、初代教会もギリシア語を用いていました。多くの教父がギリシア語で著作を残し、初期キリスト教徒たちのほとんどはギリシア語に翻訳された『七十人訳』を通じて旧約聖書を読んでいました。ギリシア語はキリスト教の土台となった言語といえるのです。
それはアレクサンドロス大王の東方遠征によりギリシア語が古代の公用語となったからだけでなく、ギリシア語がホメロスやアイスキュロスといった文人の言葉であり、プラトンやアリストテレスら哲人の言葉であったことと無縁ではないでしょう。ギリシアを征服したローマ人から今日の欧米の学生に至るまで、古代ギリシア語は教養として学んでおくべき格式高い言語であり続けています。
ところで、現代ギリシア語はどうでしょうか。古典ギリシア語を復興・維持しようとしたフォティオスやプセロスら顕学の努力もむなしく、中世の間にギリシア語は大きく変化していきました。スラヴ人の侵入や第四次十字軍によるラテン人支配、さらにはビザンツ帝国を滅ぼしたオスマン・トルコの支配を経て、ギリシア語は外国語から多大な影響を受けました。近代に独立したギリシャでは、古代のギリシア語への回帰を目指して作られたカサレヴサと口語のデモティキの間で激しい対立が起こりました。死者を出すほどの衝突の末、20世紀半ばのパパドプロスの独裁軍事政権はカサレヴサを唯一の公用語と制定しました。ですが、軍事政権の崩壊後にデモティキが復権し、公用語としての地位を取り戻しました。このように、経済危機で有名な現代ギリシャは、言語の面でも混乱を経験していたのです。
現代ギリシャはこうした言語的騒擾の中でも、『その男ゾルバ』や『最後の誘惑』で知られるニコス・カザンザキスやノーベル賞作家オデッセアス・エリティスといった偉大な人物を輩出しました。ですが、いまだギリシア文学といったら古代のそれであり、日本を含めた多くの国で現代文学が高く評価されているとはいえないのが現状です。そんな現代ギリシャ文学への過小評価を覆す一歩となるのが、今回紹介する『現代ギリシア詞華集: ギリシア国家文学賞受賞詩人作品集』です。
題名が表しているように、本書はギリシャの国家から文学賞を与えられた詩人たちの作品を集めた詞華集(アンソロジー)です。2010年から2022年の間に賞を受けた気鋭の作家たちの詩は、最新の現代ギリシャ文学の動向を伝えてくれます。と同時に、訳者があとがきで述べているように、本書はギリシャ政府のお墨付きを得た作品を、ギリシャ政府がまとめ、ギリシャ政府の支援によって翻訳・出版されている、いわば官製の詩集です。そこには私たちがニュースで耳にする政治的にも経済的にも混迷するギリシャの“今”は感じ取れず、むしろ古代とのつながりなど、理想化されたギリシア像が示されています。様々な視点をもって読むことができる本書を、現代ギリシャ文学への入り口としてみませんか。
石川雄一 (教会史家)