スコットランドのアラン島は、スコッチの名産地として知られていました。といっても、アラン島で造られるウィスキーのほとんどは、違法な密造酒でした。1707年、スコットランドと合併したイングランドが、酒税を強化したため、スコットランドでは安価な密造酒の需要が高まります。こうした背景のもと、ウィスキーに適した水源に恵まれ、政府の目も逃れやすかったアラン島では、その立地から密造酒造りが盛んになりました。こうして生まれたアラン島の密造ウィスキーは、美味しいだけでなく、スコットランドを締め付けるイングランドへの抵抗の象徴にすらなっていきました。ですが、監視の目を強めたイングランド政府により、アラン島の密造酒は次々と摘発されていき、19世紀の間にウィスキー造りの伝統は途絶えてしまいました。しかし、1995年、この誇り高いアラン島のウィスキーを蘇らせるため、新たな蒸留所がオープンしました。その名も「アラン」。その飲みやすい味わいから世界中で高く評価されている現代の「アラン」は、かつてのアラン島のスコッチと異なり、合法的なウィスキーですので、日本でも堂々と飲むことができます。今回はそんな「アラン」を生み出したアラン島のキリスト教史を、中世初期の時代に焦点を当てて紹介しましょう。
クライド湾に浮かぶアラン島は、スコットランドとアイルランドをつなぐ交通の要衝として、有史以前から栄えてきました。そんなアラン島にキリスト教が伝わったのは6世紀のことでした。聖パトリックに由来する独自のキリスト教を発展させていたアイルランドは、6世紀、スコットランドなど海外への宣教に乗り出します。スコットランドのキリスト教は、ローマからではなく、アイルランドから伝わったんですね。
スコットランドにキリスト教を伝えたアイルランド人の中でも、最も重要な人物は聖コルンバと言えるでしょう。アラン島より北に位置するアイオナ島を拠点とした聖コルンバは、そこからスコットランドに福音を伝えてきました。スコットランドのキリスト教史の原点ともいえるアイオナ島は、巡礼地として人々の崇敬を集めてきました。このように聖コルンバといえば、アイオナ島がすぐに思い浮かぶのですが、実は、彼はアラン島にも宣教に来たことがあるといわれています。
ですが、そんな聖コルンバ以上に、アラン島にとって重要なのが、聖ブレンダンです。聖ブレンダンは、10世紀に書かれた『聖ブランダン航海譚』の主人公として知られます。「キリスト教徒のオデュッセイア」とも呼ばれる『聖ブランダン航海譚』は、「聖人たちの約束の地」と呼ばれる桃源郷を探して航海する冒険物語であり、聖人伝です。『オデュッセイア』のように様々な試練にあいながらも旅を続ける聖ブレンダンの航路上に、アラン島は位置していたと考えられ、実際、アラン島には彼の名を冠した地名が多く残されています。
アラン島は、キリスト版『オデュッセイア』や密造酒の歴史など、ユニークな物語が交差する場所です。そんなアラン島で生まれた「アラン」は、その飲みやすさの裏に豊かな物語を携えていたのです。
石川雄一 (教会史家)